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第177回・21世紀構想研究会講演 報告 その1

2022/09/04

 「嘘で政治家が辞める国、英国」その1

   講師:小林恭子(在英ジャーナリスト)

プロフィール:秋田県生まれ。1981年、成城大学文芸学部芸術学科卒(映画専攻)。外資系金融機関勤務後、「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニューズ」)記者・編集者を経て、2002年に渡英。英国や欧州のメディア事情や政治・経済・社会現象を複数の媒体に寄稿。「新聞研究」(日本新聞協会)、「Galac」(放送批評懇談会)、「メディア展望』(新聞通信調査会)などにメディア評を連載。著書に『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(共著、洋泉社)、訳書に『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。『英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱』(中央公論新社)など多数

嘘をついて辞めたジョンソン首相

2022年7月7日、イギリスのジョンソン首相(当時、保守党党首)が辞任を表明しました。嘘をついたことが原因です。イギリスでは政治家は嘘をついてはいけないことになっています。議会で嘘をついたら、辞任が想定されます。その背景をお話しします。

ジョンソン首相は、あっという間に辞任の意思を表明しましたが、新しい党首と首相が決まらないと正式には辞任したわけではなく、辞意を表明したということです。

まず、7月5日閣僚2人が辞任届を出します。その後48時間の間に、約60人近くの閣僚や政府関係者、官僚が次々に辞任届を出すのです。

新しい閣僚を探しても、その人も辞めると言い出して、事態の収拾ができなくなりました。

ジョンソン首相とはどういう人物か。元ジャーナリストでコラムニスト、本も書いていますし、政治家でもあります。エンターテイナーとしての側面もありました。ウクライナのゼレンスキー大統領も以前はタレント、アメリカでもテレビによく出ていたトランプさんが大統領になりました。今はある程度アピール力があったり、人を笑わせたりする人が政治家になる場合もあまり珍しくなくなってきました。

ジョンソン首相は、今年58歳です。英国のエリート層が子弟を送る名門のイートン校からオックスフォード大学に進学しました。結婚3回、子ども7人、隠し子が多数いると報道されてきました。今回の辞任につながったのはジョンソン首相自身が個人的に嘘をついたためでした。

幼少期から世界の王様になりたいと言っていたそうです。ジャーナリストから下院議員になりました。

その後ロンドン五輪(2012年)のときに、ロンドン市長(2期連続、2008年 – 2016年)でした。市長就任後まもなくして議員を辞めましたが、ロンドン市長として業績を上げて、任期が終わる前にまた下院議員になり、最終的に外務大臣から首相になりました。

ロンドン市長時代、日本に行ったときに子どもとラグビーをした写真です。子ども相手なのですが、一生懸命ボールを取るまでやる。これがジョンソン流です。

ロンドン市の観光を応援しようと空中にぶら下がって旗を振って落下するはずが、途中で止まってしまいました。ある意味ではジョンソン氏らしい出来事で、滑稽な感じの政治家というわけです。

エリートなのにジョーク満載で面白いキャラ

ジョークが満載でテレビ番組に出て、この人面白いなと思われていました。エリートながらも気さくでいろいろ笑わせてくれる。言いたいことをずばりと言ってくれるのでアピールする能力はありました。またエリート層からするとイートン校とオックスフォード大学出身で、自分たちの仲間だという感覚があり、多くの人の共感を呼びました。

典型的なジョークとして、辞任表明後、議会で行なわれた最後の「首相に対する質問」のコーナーでの発言をご紹介します。ちょっと長いステートメントを話し、その後に議長や支援者に感謝するのですが、その最後の最後に「またな、ベイビー」と言いました。この「またな」のところがスペイン語でした。ちょっと外国語を入れて面白いことを言うのです。

この言葉は『ターミネーター2』のアーノルド・シュワルツェネッガーが映画の中で言ったそうです。一般の人はわかりませんが、知的層にはすぐにわかります。たとえば欧州だとドイツ語やラテン語、フランス語、スペイン語。外国の簡単な言葉の意味が知的階層だとわかるのです。一般人にはちょっと難しいことを言いながら、面白いことを言う。議会での演説の最後に「ベイビー」と言って辞めるという人は他にいないのではないかと思います。

ジョンソン氏はとても失言や嘘の多い政治家で、『タイムズ(The Times)』に勤めていたときは、事実に基づかない原稿を書いて解雇されています。またコラムでは、アメリカのオバマ大統領について人種差別的ともいわれかねないような表現をしたり、イスラム教徒の女性が目の部分だけが見えるような黒い装束で道を歩いている様子を指し、その姿が郵便箱のようだと書いたりして、ひんしゅくを買うようなこともありました。

EU離脱を主導して首相になる

一番罪深いのは、イギリスがEU離脱の是非を議論している際に離脱派運動を主導しましたが、そのときに嘘の公約をしたことです。現在はEUに多くのお金を払っているけれども、離脱をすればもう巨額を払う必要がなくなるので、それを医療制度につぎ込むことができる、と。これは国民に非常に受け入れられました。

ところが、この数字そのものが、実際は半分くらいでした。失言というか嘘というか、誇張表現がこんな選挙カーのバスの車体に堂々と載っていますが、この数字だけが独り歩きしてしまいました。

結局、英国民は僅差ながら離脱すると決定し、テリーザ・メイ内相が首相になったのですが、その後を引き継いでジョンソン氏が首相に就任したのは2019年7月でした。

そして12月の総選挙で保守党が圧勝します。

離脱運動の際には、ジョンソン氏は「英国を私たちの手に取り戻そう」と、愛国心に訴えかけ、心が浮くようなことを発信して国民の気持ちをつかんでいきました。

総選挙では「Brexitを実現させよう」「Let’s get Brexit done!」というのを合言葉にしました。これも国民がメイ政権下では問題が解決せずに本当に困ったというときに、今こそやり遂げよう、「Let’s get Brexit done!」と、そうだよなと思える内容で国民に訴えかけました。

総選挙の勝利スピーチもジョークで、「Let’s get Brexit done!」と言って皆が盛り上がるわけです。ところがその前に、まずは朝ごはんを食べようよと言うのです。「Let’s get breakfast done」と言ってみんなを笑わせます。本当にジョンソン氏らしい勝利演説でした。

コロナの初期対策でつまずくも立ち直る

ジョンソン首相は何を達成したか。2020年1月にイギリスは正式にEUから離脱しましたが、そのころから新型コロナウィルス感染症が広まっていきます。ジョンソン首相も感染してしまいました。イギリスの感染爆発の原因は初期対応の遅れが非常に大きかったのです。最初は大したことないと考えていたせいか、ロックダウン(行動規制)や外出規制が遅れました。

コロナウィルスが凄まじい勢いで広がり、病床数が不足すると困るため、軽症の人を高齢者のいる施設に1、2万人動かしました。その結果、高齢者施設ではコロナ感染で亡くなる方が続出しました。現在までに死者が18万人。イギリスは日本の人口の約半分ですから、日本のケースで単純計算すると36万人もの方が亡くなったということになります。

それだけで責任問題でしたが、予期せぬ事態、初の事態なのでジョンソン政権だけを責めるわけにはいかないともいえます。

その後、ワクチンの開発に巨額投資をし、世界に先駆けて接種が進み、コロナ対策では成功したというイメージをつくり出していきました。一方、ロックダウンでビジネスも止まってしまうので、従業員を解雇したい雇用者がたくさん出てきました。その際巨額の税金の支援策を出し、国民を手厚くフォローしたというイメージが世論に広がっていきます。

ウクライナではいち早く武器提供宣言

ロシアのウクライナ侵攻が2月末に始まったとき、イギリスは欧州の中でも一番早く武器提供を宣言しました。ゼレンスキー大統領に会うためにジョンソン首相は何度かウクライナを突然訪問しました。

ジョンソン首相はチャーチルを非常に尊敬しており、国が危機状態になったときにさっと現れて、国の危機を救う。そういう役割を自分が演じることができるというので、本当にジョンソン首相の夢がかなったという部分もありました。ところが個人にまつわるスキャンダルにより足元をすくわれてしまいます。

ジョンソン氏は、保守党に献金されたお金の一部を自らが住む官邸の内装費用に流用し、それが公になると「いや、知らなかった。保守党への献金のお金だと知らなかった」と説明をして返しました。

首相になってから私が非常に驚いたのは、EUと事前に合意もせずに、とにかく即離脱してもよいということを言い出したことです。なかなか離脱合意についての議案が決まらないので、議会を故意に閉会にしてしまいます。時間切れになったらもう離脱案をまとめる時間がないため、無理矢理に「合意なし」で離脱するしかありません。

規則は自分に当てはまらない

離脱合意の一部に、EUと一緒に決めた北アイルランド議定書というものがあるのですが、それを無視してもいいという態度を継続して見せています。

また、ある保守党議員がロビー活動をした際に、自分で便宜を図って私的利益を得たのですが、それが議会の基準委員会の調査対象になりました。

その基準委員会で、議員は違法行為をしたという結論に達しますが、ジョンソン首相はこれを無視し、また新たに委員会を設置して、この結論は正しいのかどうかもう一度調査しようとしました。しかし保守党内からも反対意見が出て、諦めました。親しい人はかばうのです。

ジョンソン首相にはルールを軽視する、規則は自分には当てはまらないという考えがずっとあり、ある意味ではイギリスの指導者層の一部、特権階級の持っている意識を体現していたのかもしれません。

最後に命取りになったのが、新型コロナウィルス対策のロックダウンの際、パーティーなど人が集まることをしてはいけないという規則をジョンソン首相自ら破ったことです。しかも何度も破っていたと報じられます。

ゴシップネタで終わるはずだったが・・・

2020年3月末以降にロックダウンになり、病院や自分の親がいる介護施設などを訪ねることができなくなりました。病院で死にそうになっていても面会できない状況になってしまい、非常につらい思いをした国民が多数いまし た。

ところがそのころ、ジョンソン首相の官邸の中庭とか官邸の中では、官僚とともに飲酒を伴うパーティーに数回にわたり出席していたと報じられます。スコットランドでもロックダウン規制を破った政治家や官僚が辞任しました。

これが大きく影響を与え、メディアが執拗に何度も何度も2021年末から報道し、パーティー疑惑が大きくなります。一般の人がもういいのではないか、という意見が強かったのですがメディアは報道を継続します。

この写真は、ガーディアン(The Guardian)が掲載したものです。中庭でのパーティーの一つで、たしかにテーブルは離れてはいますが、一つのテーブルに4、5人が集まって飲んだり食べたりしている状態です。それは当時のロックダウンのルールでは、やってはいけないことでした。

少なくとも16回以上同様の行為があり世論の批判が高まったため、官僚に頼んで調査させました。パーティーを仕事の一部として評価することはできないし、官邸は指導力に欠けるという結論が出ました。ロンドン警視庁が捜査に入りました。そして首相と当時の財務大臣や側近らが罰金を払うことになりました。

しかし、ジョンソン首相は議会で「あれはパーティーではなく仕事の集まりだった」とかいろいろな言い逃れをし、虚偽の発言だったのではないかということで捜査が続きました。メディア報道によってジョンソン首相に対する不満が高まり、こんな人が党首では選挙に勝てないという見方が強まって、進退問題につながっていきます。

ピンチャー事件でついに退陣へ

クリス・ピンチャーという保守党の議員で院内副幹事長でもあった人物が、6月末に突然辞職をします。副幹事長というのは、党の議員などが規則を守った行動をするよう監視する役目でした。彼は辞職の前の日に、あるプライベートクラブに行って男性たちの身体を触る痴漢行為をしてしまったのです。官邸やジョンソン首相はこんな人とは知らなかったと発言します。

しかしピンチャー氏を副幹事長に任命したのはジョンソン首相です。その後も知らなかったと言い訳をしますが、2017年くらいからすでにピンチャー氏の性的疑惑はたびたび報じられており、党内で調査もされていました。

ジョンソン首相は、2020年ころ「Pincher by name, pincher by nature」というジョークで笑っていたと報じられました。ピンチとは、つかむとかつまむという意味になりますが、名前がそういうつかむ人だから身体を触ったりするんだよねという意味のジョークでした。側近がそのようなことを言ったと証言し、ジョンソン氏自身も発言を否定しなかったのです。

その後、ジョンソン氏が外務大臣であったころに、ある官僚がジョンソン氏にピンチャー氏はこういう人だよと直接説明をしたということを暴露します。

全て公になってしまい、「今になって思えばピンチャー氏を院内副幹事長に任命しなければ良かった」と弁明することになります。

辞任に次ぐ辞任ラッシュ

7月7日の朝までの48時間で約60人の官僚とか政府閣僚が辞職願を出していきます。首相は財務大臣や保健大臣等の役職に新たな人を任命するために候補者を出しますが、候補者ですら辞めたいと次の日には言い出す始末でした。政権の維持は厳しいのではないかと進言され、ついにジョンソン首相は党首辞任の表明に向かうことになりました。

官僚や閣僚の辞任理由には、個人的についていけないという意見が目立ちました。「公人としての基準が地に落ちている」「真面目に政治に取り組むべきだ」。これは元財務大臣のリシ・スナクさんの発言であり、ジョンソン首相を信用できなくなったという意味です。政策が違うということではなく、ジョンソン氏個人の性格に同意できないところがあり、皆さん辞任を決断しました。

こうしてジョソン首相は辞任せざるを得なくなりました。

その1終わり