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元ウクライナ大使が語るウクライナ戦争の深層 (上)

2022/05/23

永野博(司会)  元駐ウクライナ大使の坂田東一さんにご講演をお願いします。坂田さんは幅広く科学技術行政を担当され、文部科学審議官、文部科学事務次官となられその後、ウクライナ大使をされました。坂田さんが駐在されていたときに起こった事柄が、今日のウクライナ情勢にも関係しているということなどを本日はお聴きしたいと思います。

坂田   キエフに住んでいたのはちょうど3年間ですが、最初の2年間はとても順調な二国間協力が進みました。2011年3月に福島第一原発の事故があり、日本国の課題としては、事故後の対策をどのように的確にやるかということでした。その参考として、チェルノブイリの原発事故を起こしたウクライナと、ぜひ協力関係をつくってチェルノブイリから学ぼうということが大きな国の課題でした。

日本から3年間で50を超える調査団が来ました。国会議員の先生方、政府関係者、東京電力、福島県民、福島以外の原発所在県の皆さんなども来られました。とても感心したのは、それぞれの調査団は、福島事故の問題についてしっかりとした問題意識を持っていて、ウクライナにおいては原発事故をどう処理したのかということを、一つ一つきっちり聞いて、その情報を持って帰られたということです。

私が任期を終える2014年の10月までの間に、第1のウクライナ危機が始まりました。マイダン革命とか、クリミアのロシアへの武力併合とか、あるいは東部ドンバス地域における紛争だとか、そういうことが起こった時期です。
今回の、ロシアによる一方的な侵攻というのは、ある意味で第3幕のような印象を持っています。第1幕がクリミアの併合、第2幕が東部ドンバスの紛争、今回が第3幕です。一貫して、ウクライナの主権と領土一体性の侵害をしていることです。ウクライナはEUとかNATOとか西側に行きたいのですが、国家が安定していないとそれを認めてもらえない。不安定になればなるほど、欧州から見て、ウクライナを素直に認められないことになり、そのことはロシアの利益になるということだと思います。

今戦闘が起こっているのは、東のルガンスク(ルハンシク)、ドネツクです。ひどい戦闘がおこなわれたマリウポリはドネツク州の一つの都市です。東部で赤い斜線になっているところが、ロシアの支援を受けた親ロ派の勢力が2014年に占拠した地域です。これを全体に広げようとしているのがロシアだと見られています。

クリミアにはセヴァストポリという軍港の町があり、キエフとこのセヴァストポリが特別市で、州と同じ扱いになっています。クリミアはクリミア自治共和国として特別な自治権が与えられていますが、ウクライナはクリミアを入れると25の州と2つの特別市からなります。

私は3年間の間でルガンスク州を除いて全て回りました。ルガンスクは親ロ派が占拠して状況が極めて不安定になっており、行ける状況にはないということでした。

ウクライナの南西にモルドバがあり、その大使も兼任しておりました。モルドバは今ウクライナからの避難民をたくさん受け入れて、もう45、6万人くらい受け入れています。モルドバの国の人口は400万くらいですけども、1割以上引き受けているということです。

これはロシアから攻め込まれている東部、南部の状況です。濃く赤いのが、すでに2014年の段階で、ロシア側に取られたドネツク、ルハンシクなどです。薄いピンクは、現在ロシアが占領したと主張しているところです。南部のほうではザポリージャ原発のところとか、ヘルソン州を含みます。ハルキウはキエフに継ぐ第2の都市ですが、破壊がひどいのでとても残念な思いをしています。

これはウクライナの概況です。独立が91年の8月24日です。ソ連邦が崩壊したのはこの同じ年の12月でした。議会は一院制で450人、大統領がいて任期は5年。『ウクライナは不滅』という国歌があり、今の状況を乗り越えて独立を守るための国歌の感じがします。

面積は60万平米で日本の1.6倍です。位置は比較的北で、日本の札幌と同じくらいの緯度です。欧州の穀倉地帯といわれて、肥沃な黒土が広がっていまして、ウクライナの畑の面積は、農業国フランスの2倍近いと言われていました。

このスライドは、2019年に作ったので、データがちょっと古くなりました。言語は、旧ソ連の国ですからロシア語が通じますが、ロシア語、ウクライナ語の両方を理解する人たちが多いですが、国語は憲法上、ウクライナ語になります。ただ、ウクライナ人によってロシア語がいじめられているとか、ロシア人がいじめられているというの、私はみんなロシアのプロパガンダじゃないかと思っています。

私が駐在した3年間で、ウクライナ人とロシア人がけんかをしているとか、あるいはウクライナ人がロシア人をいじめているとか、そんな話題は1回も聞いたことがありません。ロシア語を話すロシア系の人たちであっても、ウクライナは自分の国だと考える人は多いと思います。

宗教はウクライナ正教です。西暦988年にギリシア正教を取り入れてから、東方正教会がウクライナの宗教の中心になり、キエフを本拠とするものとモスクワを本拠とするもの、そして戦後海外に逃れていたものに分かれていましたが、2018年にこれらウクライナ正教会が統一し、更に2019年にキエフに本拠を置くものがモスクワから独立しました。コンスタンティノープル、今のイスタンブールですけど、そこの総主教庁から認められ、宗教的にも2019年にウクライナ正教会はロシア正教会から独立したということになります。

通貨はフリヴニャで、第1次ウクライナ危機があった2014年、15年はインフレ率が高く、経済は非常に苦しみました。一人あたりGDPとか国全体のGDPも小さいです。日本の数十分の1くらいだと思います。

ウクライナの略史を説明します。8世紀末から9世紀末にかけて、キエフ大公国のキエフ・ルーシに国家の起源がすでにあったと言われています。988年、当時のウラジーミル1世がギリシア正教を取り入れて、正式に国の宗教としました。10世紀ー12世紀と、キエフ・ルーシ公国は繁栄を極め、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)と並ぶ、ヨーロッパの大国でした。しかし13世紀、1240年にモンゴルに攻められて、ウクライナは崩壊し、国家がない状態になりました。

その後14、15、16世紀には、ウクライナは国家のない状態の中で、ウクライナの民になる人たちが生活をしていたということです。15世紀、16世紀になりますと、北部のリトアニアとかポーランドで農奴として働いていた人たちが南下して、いわゆるコサック集団を形成します。

こうして16世紀から17世紀に、ウクライナコサックの国がヨーロッパの黒海の北のほうにできたのですが、ポーランドとの戦争が17世紀にあり、旗色が悪くなったところで、ウクライナはロシアの保護を求め、1654年にロシアとの間でペラヤスラフ条約ができました。ロシア帝国の保護下にはいり、その頃からロシアがウクライナを支配するようになっていきました。1991年のソビエト連邦からの独立まで、ロシアの支配は続いたということです。

一言でいうと、17世紀の半ば頃から冷戦が終わるまで、ウクライナがロシアにずいぶんいじめられてきたという歴史がある。そういう関係は、特にプーチン大統領の思考形態にも影響していて、ロシアはウクライナを劣位に見ているという部分があると思います。

これはウクライナ25の州と二つの特別市におけるロシア語使用者の分布図です。パーセンテージで表わされています。中央から西のほうはロシア語を第一母語話者とする人たちはかなり少なく、ロシアに近い東のほうが多いのは当たり前で、旧ソ連の中ではウクライナは一つの共和国で隣のロシアとの交流は活発でした。

クリミアはある時期まで、旧ソ連時代にはロシア共和国のものでした。しかし1954年、ペラヤスラフ条約300年を記念して、フルシチョフ第一書記が、クリミアをロシア共和国からウクライナ共和国に配置替えしたわけです。それから60年経った2014年にロシアのクリミア侵攻があり、今度は武力でロシア側が取り戻したというです。

永野   そもそもウクライナ人とロシア人は人種が違うのか? またウクライナ語とロシア語は違うのか? ロシア語の方言みたいなのかと思っていたのですが。

坂田   人種的には、ロシア人もウクライナ人もベラルーシ人も東スラブ系ですから、一緒です。ウクライナ語とロシア語は、大使館にロシア語がペラペラの日本人スタッフの女性が働いていましたが、彼女によればウクライナ語は3割しかわからないと言っていました。

つづく