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第173回・21世紀構想研究会講演報告 (下)

2022/06/02

第173回・21世紀構想研究会講演(下)

「暗雲漂う日本の教育現場 教師不足を跳ね返す抜本策が急務」

 講師:松本美奈(教育評論家)

こちらの表をご覧ください。これは東京都の小学校教員の倍率を、時事通信社の雑誌「教員養成セミナー」編集部がデータを取っていました。この中で見ていただきたいのは、この黄色い線の一次通過率と二次通過率です。上から説明していくと、一番上のところが年度。2011年度から22年度まで年度を追って出しています。横が年度です。

22年度のすぐ下が3110人と書いてあります。これは志願者数です。その下が受験者数、実際にどのくらいの人がエントリー、受験に来たかということです。この黒い枠は個人面談のみで、個人面接のみで、かつては先生になれる道があったという裏付けですが、今はさすがにやっていないようです。その下に来るのが一次合格者数。2155人中1437人が一次試験、つまり筆記試験を合格しました。倍率は1.5倍でした。

ここからトリックが始まります。この下に、一次免除者数が入ってきます。つまり、筆記試験を受けなくても、二次試験に進む裏街道があるのです。この一次免除者というのは、まず大学推薦です。東京都が各大学に優先枠を設けて「おたくの大学から推薦してくれれば一次試験を受けなくても入れてあげますよ」というわけです。

各大学が優秀な人を出してくれているんだろうなと皆さん期待しますよね。そこで私もいくつかの大学にそう質問したところ、「とんでもない」と皆さん、口を揃えます。「優秀な人たちは放っておいても就職決まります。ですから、一番、二番手までは、この枠では出さない」ということです。

つまり企業に採用されない、就職できなさそうな人を大学推薦で出すわけです。そういう人が一次通過、一次免除で、二次試験へ向かうわけです。そしてもう一つ、独自の枠もご注目ください。青田買いです。東京都の場合には、20年前から教師養成塾を行っています。大学3年生を各大学から集めて、都の教育庁が実施している塾に来ればこの一次は免除して二次に直接進めるシステムです。

また、去年の合格者というのもあります。臨時的任用の人たちにもここを入れたりします。このほかに事件になってしまう裏街道もあります。時折表面化します。金銭で合格者の枠を購入、という事件です。

二次試験には、こうしていろんな人が入ってきて、の結果的にはなんとか倍率を確保できる。全体としては倍率が上がるというトリックです。東京都の表をもう一度ご覧ください。去年7月から秋におこなわれた試験の最終倍率は、1.9倍でしたが、筆記試験は1.5倍。またその前年2019年から21年にかけては筆記試験の倍率は1.1倍でした。1倍前後というのは、受験日に席について名前を書いたら合格するという意味です。

ある教育委員会の人に言わせると、あまりここでは落とさないようにしているそうです。二次試験に行く人がどんどん減ってしまうからです。学力試験が機能していないということです。

二次試験では、面接や集団討論をしているようですが、落とすためのものかどうか。ですから、二次試験対策として、面接室に入る際のノックの仕方、お辞儀の仕方、ネクタイの締め方、服装チェックといったものに力を入れている大学が少なくないようです。国立大学でもそのような授業を設けているという話を聞きました。となると、一体「大学における教員養成」はどんな質を担保するのか。この数字から読み取ることができるのではないでしょうか。

千葉県も一次通過率は1倍台です。1倍のこのところはずっと1倍の下のほうで推移しています。二次も一次の免除者を入れてなんとか二次受験者数を確保し、そして最終倍率に継ぎ足しているという状況です。埼玉県でも2022年は1.9倍でしたが、免除者数が580人いて、足して1505人。こうした人たちを二次受験者数に迎えています。そして最終合格者は801人になり倍率を確保しているといった状況です。

その結果、どんな先生が教壇に立っているか。ある中学生たちから聞いた話です。英語の先生が授業中に、「実はこの間英検の3級の試験を受けて落ちちゃったんだ」ということを笑いながら授業中に話していたそうです。英検3級に英語の先生が落ちるという現実。それを授業中に生徒に笑いながら話すというメンタリティ。いずれも目を覆うような現実だと私は考えています。

筆記試験倍率1.1倍はやはり質を担保していない。量も足りないけれど、質も担保できていない。文部科学省は、教育委員会は一体何をやっているのか。まったく無策だったのかというと、そんなことは実はないです。迷走に次ぐ迷走をしているんだということをこれからお話しします。

日本は戦後の復興から間もなくずっと教員養成について悩んできました。悩んで、たくさんの政策を続けてきました。ただ、場当たり的でした。そのときの経済的、政治的、国際情勢に左右され、右往左往しながら迷走してしまった。理念がどこにあったのかは正直今の私にはわかりません。

時々出てくる中教審の答申で、高度や専門職と文言があったということはわかるのですが、それをどんな政策に落とし込んだのか。今日は迷走に次ぐ迷走を象徴する政策を二つお伝えします。

そのうちの一つが「給特法」と呼ばれる法律です。

1971年に当時の名で「国立及び公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」、略して給特法をつくりました。これは今も生きています。国立大学が法人化されて国立学校がなくなったので、今はこのように法律の名前が変わっています。これは、一律に4パーセントを「教職調整額」として上乗せして支給するという法律です。残業してもしなくても4パーセント、しかも基本給扱いなので定年後の年金にも反映されます。その代わり、時間外手当は一切出しません。

これはもともと長時間勤務対策として考えていたようで、時間外勤務を命じていいのは、生徒の実習、学校行事、職員会議、非常事態の時その4つだけと限定しています。ところが、時代の中でこの法律は弊害をもたらすようになりました。

その3年後の1974年、先生を優遇する策として、人材確保法ができました。田中角栄首相の時代です。教員の給与を一般公務員よりも優遇して優れた人材を確保するため義務教育水準の維持向上を図るという法律で、78年度にかけて計25パーセントを引き上げる予算措置も組まれました。高度成長の時代、優秀な人材がどんどん企業に行ってしまって、先生にならない。これでは日本の子どもたちの将来はどうなる、ということで優遇策を講じたわけです。

ところが時代の変化の中で、この二つの法律はそろって機能しなくなりました。日本が貧乏になったため、優遇率をさげ、今では一般地方公務員の給与とほとんど変わりません。しかも時間外手当は出ません。もちろん割増賃金も。つまり「定額働かせ放題」の制度なのです。定額働かせ放題とは、名古屋大学の先生方の命名です。では、実際、どのぐらい働いているのでしょうか。

一番下の表をご覧ください。週あたり一般の教員で57時間も働いているという現実です。これをさらにわかりやすくしたのがこちらです。

1週間あたりの勤務時間はこんなに変わっています。1966年、つまり給特法の前段になったこの調査の時点では、小学校の先生が49時間35分働いていた。これでもそうとう働いていたんです。ところが、2006年は53時間16分。2016年に至っては57時間29分にも労働時間が伸びていました。そして1966年の中学校の先生たちは51時間05分。それから2066年には58時間06分。16年には63時間20分にまで労働時間がふくらんでいるという現実です。これを教職調整額4パーセント上乗せしているのだから我慢しろ、というわけです。

そこで文科省は次なる策を打ってきました。2019年、先生たちのブラック状況をなくそうと、給特法を二つ改正しました。まず一つが、1年単位の変形労働時間制です。みなし労働時間制です。1年間というこの単位の中で休日をまとめ取りできるようになり、先生が休みを取りやすくするようにしようというのが変形労働時間制です。それをしっかりと文科省と教育委員会も指針を定めてチェックしようということがこの中に盛り込まれています。

私は社会保険労務士という資格を持っています。社会保険労務士の先生方に伺うと、変形労働時間制は評判の悪い制度です。管理が難しいためです。誰が管理するのか。これは直属の上司しかわからないのです。

働いている人たちは、介護、育児、出産、病気などさまざまな事情を抱えている。その人たちが、きちんと休めて、憲法が保障する人間らしい生活を営めているか、チェックするのは大変難しいです。期間が長くなればなるほど、この管理は難しくなります。元々1年単位の変形労働時間制というのは、デパートで使われています。お中元とかお歳暮、それからセールの時期がわかっているところです。ある程度、見通しのつきやすいデパートですら、働く人たちが訴訟を起こしています。運用が難しいです。

1週間くらいだったらなんとかなるでしょうが、1年になると、誰がいつどうやって休みを取っているのか、どう働いているのかわからなくなります。もう一つ、労働基準法では変形労働時間制を採用する際には、組合や職場の代表と会社側が労使協定を結び、労基署に届け出ることになっています。つまり、問題が起きたら、労基署に飛び込むことができるのです。ところが、給特法では労基署は関与していません。労使協定もありません。問題が起きたら、直属の校長、教育委員会に直接改善を求めるしかないのです。

こういった労働環境で、先生の質をどうやって担保するのか。開放制、大学における養成、免許状主義この三つの柱を見直すべき時期に来ています。この三つの柱を支えてきたのは、質・量ともに国立大学でした。ところが国立大学の政策は平成の時代に大きく変わりました。1980年代後半から、国立大学はどんどん貧乏になっていきました。当時1985年ごろに東京大学の有馬総長が国立大学の現状を「頭脳の棺桶」と表現していました。

当時の文部省は教員養成大学・学部の今後の整備に関する調査研究会議を開き、新課程を設けてもよいと決めました。いわゆるゼロ免です。教員養成大学・学部は教員免許取得を卒業要件とするところです。それをとらなくてもいいとしたのです。

結局、1991年から6年間で、国立の教員養成大学の入学定員は5585人減りました。さらにその翌年から2000年度までで、橋本行革が5000人削減します。こうした傾向に拍車をかけたのが、2004年の国立大学法人化です。国立大学は文科省の出先機関ではなく独立した法人になったので、国立大の入学定員増減で、教員数をコントロールしてきた文科省は、手を離さざるを得なかった。開放制といいながら、小学校の教員養成は国立大学が担っていました。私立は一部です。2005年にこの制限を撤廃し、完全に私立大学に門戸を開きました。質の保証について、文部科学省はコントロールできなくなったわけです。

その後、私立大学がたくさん参入しました。資格が取れる、教員免許が取れるというのは、私立大学にとっては受験生獲得手段として大変ありがたいものでした。子どもの数が少なくなって、大学の受験生争奪戦が始まっていました。ですから、私立大学はこの教員養成ということに飛びつきました。

全入時代、一部の難関大学以外では入試が機能しなくなっていました。そういった私立大学で単位を取れば免許が取れる現実は、教員の質を保証してくれるものなのでしょうか。

やはりスクリーニングが必要です。ふるいにかけるプロセスが求められています。自治体丸投げではなく、まず教員の質保証には国が責任を持つべきでしょう。国家試験で教員の資格が取れる。その資格を持った人の採用は、各自治体に任せるという形です。

ただ試験をするだけでは敬遠されるでしょう。そこで魅力のある職業、労働環境を作ることも同時に必要です。給特法をこのままにしておいて、ブラックと呼ばれる現場に学生たちは来るでしょうか。過日も、国立大学の教員養成課程の学生たちですら、先生になるのをやめると話していました。教職の実習に行ったり、先輩たちの話を聞いていて失望したそうです。

 

まず教員の仕事を精査する必要があります。先ほどの表、一番左側の列をご覧ください。朝の業務、授業、授業準備、学習指導、成績処理…。児童・生徒の指導に関わる業務だけで、これだけのものが出てきます。クラブ活動もあるし、学校行事の準備、学年・学級経営、ホームルームをして、連絡帳に記入して、学級通信や名簿もつくります。職員会議に出て、校内研修に出て、業務日誌を作成し、外部、保護者やPTAにも対応をし…。校内全てが学校の先生の仕事になっています。教員は専門職とされています。これが専門職でしょうか。

大学も専門職を育てるための体制を整えていただきたいです。まず入試。国語、数学、理科、社会、英語の5教科を課しているでしょうか。

実は数学と理科を課していないところが少なくありません。となると、小学校の先生として現場に出ていったときに、算数と理科を教えられない。

まず次世代の育成は国家百年の計です。まず国が責任を持って、自治体、大学とで力を合わせる態勢を整えることが重要です。

最後に、私が大好きなアフリカのことわざで締めます。

早く行きたければ一人で行け、遠くへ行きたければみんなで行け。時代が急速に変化しています。その中で私たちはこれまでに見たことがない世界へ行かなくてはいけません。そこに次世代を送り出すためには、みんなで力を合わせることが重要です。

皆さんで教員養成・採用・労働について関心を持ち、議論に参加していただければきっと変わります。ご成長ありがとうございました。

                                                               おわり