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黒川清先生出版記念講演会 トークショー

2023/01/15

 どうする日本、このままでいいのか 第2部

黒川清著「考えよ、問いかけよ 出る杭人材が日本を変える」(毎日新聞出版)

出 版 記 念 講 演 会 トークショー

進行(馬場錬成理事長):ただいまより記念講演会のトークショーを開催します。モデレーターの橋本五郎さんよろしくお願いします。

 タテ社会の弊害を取り除けないか

橋本五郎氏(以下、「橋本」):

黒川先生の話には、最初からかなり本質的な問いかけがありました。日本政府のこと、戦後の教育に対する文部行政への厳しいまなざし、政治に対する批判をお話になったうえで、日本人の物の考え方、日本の歴史、社会の成り立ちを踏まえた危機感をもって、この時代を乗り切れるのかということで、きっとお話しになるだろうと思っていました。そうした病弊を指摘することは難しいことじゃないかもしれない。どうやったらこれを克服できるのかというのが、最も大事な要素として来るだろうということは考えてきました。

そこで、トークショーでは、まず、縦社会の問題。東大の文化人類学者、中根千枝さんが記した『タテ社会の人間関係』(講談社・現代新書)で指摘されているように、日本の悪いところとして、縦社会が連綿と続いているというのがあります。政治家も、当選回数がある程度ないと、大臣になれない。問題は、これにどう対処したらいいか。大学の講座制も縦社会の病弊である。黒川先生の問題提起を踏まえて、安西先生に、この縦社会の病弊というものを、大学からどうやって取り払ったらいいのかという、お話をいただきたい。

安西祐一郎氏(以下、「安西」):最初から難しいですね(笑い)。縦社会と大学のことに関して、わたくしは慶應義塾大学に長年いたので、福沢諭吉のことを思い出さざるを得ません。幕末から明治にかけて、それまでの縦社会を打破し、日本の新しい時代をつくろうとしたのは福沢諭吉だったと理解しております。

今の日本の大学はどうなのかというと、やはり教授の下で働いて認められることで上に上がっていく、人材の流動性がほとんどない。これが守りに入っている大学の姿と言わざるを得ません。それを打破するには、やはり業績重視、学問はグローバルで国境はありませんから、世界のレベルで評価された人材が報われるような場になっていかなくてはならない。しかし、日本の大学では、東大も含めてできない。だから、病弊といわれてもしょうがないのが現状ということをまずは申し上げておきます。

橋本:縦社会というのは、日本社会の特質であり、終身雇用制というのも、その会社にいると一生安心で、それで十分だったというのがある。そういう大きな社会的な背景もあると思うんですよね。そこのところを打破しない限り、なかなか、大学の組織も変われない。海外に遊飛していくこともない。なかなか厄介ですよね。

黒川:現状打破をチョイスすることが、非常に限られているということが一番問題ではないでしょうか。日本にはそういう人いたんですよ。例えば江戸時代、シャム(現タイ)で日本人町を形成した山田長政がいる。あの頃は、外国に行く船があるので、みんな行くわけですね。山田は、タイに行って、そのまま居ついちゃって、大きな日本人町をつくったわけです。

ところが最近、そういう人がいなくなっちゃった。そういう人は、やっぱり変人なんですよ。今までうまくいっていると、それが当たり前だと大部分の人が思っている。それから外れると、あいつ変なこと言うなあと言われる。冒険的なチャレンジをする人が少ない。現代だって、外国を含め外の世界に出ていくことは、たいしてリスクはない。山田長政もある意味で、出る杭だったと思う。ところが、今はそれを排除する空気が広がっている。

 危機意識と歴史の分岐点

橋本:そういった危機意識は日本人の中にあるのでしょうか。その危機意識があるとないとでは全然違ってくるんですよね。

黒川:それについては、高度経済成長期に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なんてちやほやされて、調子に乗ったんですね。褒められるとうれしくなるのは、日本人の悪い癖なんじゃないかと思いますね。

そうなるのは、一つに日本が島国だからですよ。島国で、明治維新はうまくいった。推し進めたのはみんな日本人。だからそこで日本人は一つになった。大陸に目を向けると、例えば中国、ヨーロッパを見ると、違った民族がいると、必ず、殺し合いになっている。例えば30年戦争ってドイツとフランスがけんかしているわけですよ。人間って違ったグループとは必ず殺し合いになる。

なぜかと言えば、人間で一番大事な食べるためには、土地がないと生きていけないからなんです。土地をまず取るということで捉えている。だから200年前に、あの秦の始皇帝だって、ものすごくモンゴルを怖がっていたわけでしょう。怖くてしようがないので、万里の長城つくったわけですよ。でも、それは公共事業だったわけですよ。仕事がなくあぶれていた人たちの仕事を作った。私の説ですけど。

橋本:それは面白いですね。塩野七生さんが『ローマ人の物語』の中で、万里の長城と同時期に、ローマ帝国は、インフラ整備として徹底的に道路をつくった。インフラは、人間が人間らしい生活するための最小限のもの。中国は万里の長城をつくる。それは遮断するためですね。人を来させないために。どちらが文明として発達するか。塩野さんは、ローマの方が発展すると言っています。ところが今、黒川説によると、そうではない。偉大なる公共事業だという話だから、これはこれで結構意味あるなあということになりますね。

現代に置き換えれば、万里の長城じゃなくて、「人間の長城」をつくるということですかね。日本の研究予算を見てください。

これを見ると、戦後の教育は、どういうことなんだろうと思いますね。要するに人間に投資するということが、根本的に欠落しているなという感じがするんですよ。安西先生、いかがですか?

安西:やはり人材投資、人間資本が、日本の場合薄いということは、まったくその通り。見えないものへの投資に、日本政府は二の足を踏んでいたということですね。一つ加えると、歴史の話が出ましたけれども、明治時代、英米流の議会制民主主義でいくのか。それともプロイセン(ドイツ)流の中央集権でいくのか対立しました。分岐点は、ビスマルク憲法を信奉する伊藤博文と井上馨が、英議会制民主主義派の大隈重信を政界から追放した「明治十四年の政変」の頃です。

結局日本は、富国強兵策のプロイセンの中央集権主義を取ったわけであります。それで、なかなか縦社会が解消できない流れができました。人口が減少していく中で、1人1人がやっぱりイノベーションを起こしていかなきゃいけない、人間への投資、あるいは科学技術にもどれくらいの予算が割けるのかという、過渡期に来ているということだと思います。

橋本:このことについて、黒川先生は、いろんな苦言、提言を政府にされましたが、実現しなかったのはなぜですか?

黒川:先日、文科省の審議官を含め課長ら4人で会いにきた。大学がこうしなければならないということを政府としては言えない、大学自らが、どうやりたいか考えてもらうことが大事というわけです。大学というのは、エリートが出ているところですが、自発的にやらないというのが一番問題なんですよ。東大を卒業した人って、ずっと東大でキャリアを形成していく。

欧米は違うわけです。アメリカは基本的に、ルールではないけど、自分の卒業した大学とは別のところに行って、キャリアを形成していくというのが常識。教官も「どこか行ってこいよ」と言うわけですよ。ドイツは制度としてそうなっていて、大学院は違うところに行くというのがもうルールになっています。これを、政策としてやるというのもちょっと変なので、例えば、旧帝大出身者が、どこに行くかといったら、日本では行くところありませんじゃなくて、外に行っちゃえばいいんです。それは先生たちの責任。自分の弟子にしたいと囲っちゃうわけです。

私が、博士の学位をとって、アメリカに行ったときに、先生は、「あなたは博士だから、もう研究者としては独立した研究者になれたのです。資格ができたんだから。この2年間は独立した研究者であることを証明する期間だよ」と言ってくれました。これは衝撃的でしたね。先生がテーマくれると私も思っていたから。「私とあなたは対等なんだ」と言われ、私は変わっちゃったと思います。

日本でもそれをできるかです。大学院はよそに行けというのをルールにしたい。それが東大、京大の責務だと私は思います。大学人の責任だということを私は問いかけたいです。

 今までのやり方を変えることができるか

橋本:私が卒業した慶應義塾大学は、1970年当時、助手にさせるには必ず外に行かせていた。しかし、そういうことをやった人が、すぐ破っちゃうわけ。残った方が、外に行って何年かやるよりキャリアを形成できると言って根付かなかった。その結果、論文一つ書かなくとも、助教授、教授になれた。書いてもたしたものはないというわけです。日本の場合、論文の数や質がどんどん下がってきていますね。

黒川:そうです。指導する先生のテーマでやっている限りは、新しいフロンティアが出てこない。。

橋本:外に出ることによって、それがインセンティブになって、むしろ論文で勝負しなければいけなくなる。黒川先生の言う「他流試合」です。だから改革の最初にあるのは、今の教育問題でいえば、まず大学みずから変わらなければいけないということですよね。

黒川:そうです。

橋本:そのためには、どうしたらいいんですか?

黒川:今までそれでうまくいっていたから、やりたくないというのがある。それをどうやって変えるかというのは、政策で決めることではない。自分たちでやることだと思います。大体ハーバード大、ケンブリッジ大には入学試験はないでしょう。向こうは、どういう学生をとるかずっと見ているわけですよ。

日本は今までは、大学の入試をターゲットにした勉強をしていた。偏差値重視だから、東大に入った人の才能は、どこに生かされていると思いますか?クイズ番組ですよ。クイズが来たらすぐに正解を出すというのは試験に受かるABCじゃないですか。どういう学生を入学させるか重要でしょう。

橋本:「日本の大学は入るのは難しいけれども出るのは易しい」とよく言われる。外国はそうじゃなくて、入るのは易しいけど出るのが難しいといいますね。

黒川:アメリカなどは、大学や大学院を卒業したらいろんなところに行く。だから、卒業生に評価され、あそこの大学のトレーニングはいいよねということを、みんな分かっている。

 改革をブロックするものを超えられるか

橋本:安西先生は、中央教育審議会の会長をされていますよね。責任はありますね(笑い)。このことについて、中央教育審議会を含めて、どう克服したらいいか考えているのですか。まず問題点の詳細が明確に分からないと駄目ですし、その上でどうしたらいいか。いかがでしたか。

安西:高等教育政策のメカニズムを一言で申し上げると、中央教育審議会(中教審)がある。大学側の自治と、政府・文科省の間で遠慮というのがあり、その間に中教審があって、そこで話し合われて教育政策が執行される。それが教育政策のメカニズムになっている。

本当に大学が変わっていくための一つの方策は、東大をもう一つつくることじゃないかと思います。東大が頂点にあって、他の大学は、東大のポジション取ればいいと目指す。東大に入学すればいいというより、東大にも競争相手がいる。もちろん世界でもいいけど、できれば国内にもう一つの東大があれば、競い合って、変わっていくきっかけになる。東大と京大の運営費、つまり予算を見ると、日清戦争の後にできた京大の予算はずっと、東大の3分の2。つまり何も変わっていないということです。これを変えていくのは、東大が自分の競争相手だと思う大学があればいいというわけです。

橋本:それがなぜ困難かというと、官僚のトップになる人たちは、大半が東大出だからだと思います。京大出身より多い。なかなか厄介ですね。

安西:こういう構想はつぶされると思いますが、東京医科歯科大学と東京工業大学が合併することになりました。名前の募集をやっていますが(後日、東京科学大学の名称になった)、この2大学に東京藝術大学と一橋大学と東京外国語大学が一緒になって、5大学になったらどうでしょう。5大学が一緒になれば、東大に匹敵する大学になると思います。ただ、大学も(古い)「業界」ですから、いろんな利害関係があって難しいでしょうが。

橋本:それはちょっと面白いアイデアですね。橋下徹の大阪都構想も似たような発想ですよ(笑い)。大阪都構想は、東京にどうやって対抗できるか、ということがあります。仕事の無駄をなくす効率化もあったと思いますが、確かにライバルなき社会というのは、進歩がないということも言えますね。実際、そのアイデアは進みそうですか?

安西:内輪の会議などで、言ったことがありますが、聞く耳は全く持たれませんでした。だから変わらない。大学というのは、ピラミッド型の構造のままで、これを変えていくということは、黒川先生のような方に、訴えていただく以外にない。

橋本:黒川先生はいかがですか?

黒川:一つは入試をやめるという選択肢はある。それから、今回の医科歯科大と東工大の合併は、国立大同士で悪くないですが、アメリカでもイギリスでも外の大学と、一緒になってやるということがあってもいい。教官も英語が基本になると、そこで学んだ学生は、どこに行こうかなと外に目を向けることになります。

シンガポール、カタールなどの大学を創設するときにアドバイザーとして関わったが、そういうところで学ぶのもいい。何も最初から日本じゃないと駄目ということはない。特に研究は国がやるのではない、個人がやるもの。国の枠を超えた人たちが集まる場所で研究すると考え方も違うし、ネットワークのレベルが全然違ってくる。そういうところで一緒に大学生、大学院生、ポスドクをやるというのは貴重な経験です。

そういう人が外で活躍すると「あそこでやった人はいいよね」という話になる。すると、もっといい人がその大学に集まるようになる。形も大事だけど、できることをやればいい。だから大学が自発的にできることは幾つもある。私が学生たちに、1年休学してどこかの大学に行ってこいと言っているのは、そういう意味です。

 真の国際化を確立する決断と実行

橋本:国立大学が大学法人になったとき、私は東大の経営協議会の委員になった。今まで文部科学省がやってくれた事務、膨大な文書、資料作りを、今度は大学人がやるということになった。どうなったか。資料作りなどに没頭して、何も研究できなくなるというわけです。大学が、新しいことをやるためには、事務的なことをちゃんとやらなければいけない。行政のあり方も消耗させているんですよ。先ほど触れたように、政治、行政の問題も大きい。もちろん大学の努力も求められるが、その努力の意欲をそいでいるのが政治であり、行政ではないかと感じます。

黒川:日本は民主主義国家なのかということも考えなくてはいけないと思っている。話は少し飛ぶが、東京電力福島第一原発事故は、日本の原子力技術は世界の先端を行っていると思われた中での大事故のわけです。

 私は、そのとき国会の事故調査委員会の委員長を務めました。あれだけの事故だから、世界の人がツイッターなどで、いろんなことを言っているわけです。

そのとき、日本政府が言っていることと、海外の見方と随分ずれているなと思いました。そのときの日本は、民主党政権でした。とにかく事故を収束させなくてはいけなかったが、次からの原子力のガバナンスは、やはりグローバルのガバナンスにするとか、例えばアメリカと一緒になって、オペレーターから何から、みんな一緒にやらなきゃ駄目だと言っていた。

しかしそれを議論するタスクフォースのメンバーは全員が日本人。それはまずいよといった訳です。だから、事故調査、報告書は全部透明にしたし、議論も英語の同時通訳を入れて世界に発信した。世界中が注目していたわけですからね。全部オープンにして、全部英語で同時通訳を入れて、今でも見られるようになっていますが、そういうプロセスは大事です。

日本の大学も、やっぱり半分は英語でやれますよとすれば、いろんな人が来ると思います。入試がなくても一生懸命になって勉強する。入試があり、日本語だったらだれも来ない。だから、そういう人材を10%とか20%を採るようにグローバル化する。

橋本:関東大震災のときに、膨大な調査報告書をつくっている。それは何も日本人だけのものじゃない。広く世界に発信した。福島原発事故の際、私は復興構想会議の委員として、主張したのは「日本は情報を隠している」ということ。でも実際は、隠す余裕なんか全くない。ただもうあたふたしているだけの話。だからあのとき、世界の科学者が日本に来て、対応したら全然違うと思いました。安西先生、何かやろうとするとき、国際的な視野をもってやるという発想を、どうつくったらいいでしょうか。

安西:国際化は日本の大学が、本当に圧倒的に遅れているところです。しかも、大学は18歳から20歳代までの人たちだけで埋め尽くされていて、多様性が非常に欠けているのが日本の大学です。なぜ日本の大学は変えられないのかというと、大学が先ほど述べた(特殊な)“業界”だからだと思います。

互いにお見合いになっていて、自分のところだけ何かイノベーティブなことをやっても、ある意味損するんですよ。その意味で、全体を変えていかなくてはいけない。それにはやはり採用とか、人材流動性もある程度一緒に変えていかなくてはいけない。そういう時代に来ていると思います。大学だけが変わるのではなく、社会全体が流動性を持つようにならなくてはいけないということだと思います。

黒川:一つは東大の定員の10%、30%は外から入学させる。そして全部英語でやると言えば、先生も変わる。やはり東大、京大がやらないといけない。役所に言ってもやらない。やるには、法律を変えるぐらい本気でないと進まないでしょう。

橋本:これまで国立大学の問題でしたけども、私立大学がむしろ、安西先生のような方に率先してやっていただきたい。東大と並ぶ私立大学をつくってもいいでしょう。

 課題山積する私立大学の現況と経営

安西:私立大学は何とかしてほしいと思います。私立大学は4年制だけで600ぐらいありますが、経営困難な大学は相当数あるわけです。これを大学と呼んでいいのかどうか。また、入試して選抜するどころではない。学生をかき集めることでやっと経営が成り立つようなところ、これを大学の教育をやっていると言えるのかということになります。私大もいろんな関係団体があります。そういうところが、それこそ自主的に変えていくという、そういう努力をしなきゃいけないということです。

橋本:私大にも国から助成金が出ています。これが問題になるのは、例えば、日大の場合、アメフトの暴行事件、理事長の脱税問題などがあったとき、何年間、助成金がゼロになるということがありましたが、そういうことばかりやるのではなく、イノベーションを進めている大学について、思い切って助成金を増額するとかの措置があってもいいのではないでしょうか。今は、学生の数など規模に応じて、助成額を決めていますけどね。そうではなくて、改革の実績に応じてやるという発想がないと、大学も変わらないのではないですか。

黒川:私立大学は比較的、国立よりはバリアが低く入りやすい。例えばアメリカだとSAT(全米標準テスト)で得点していれば、入学できるわけです。だから大学は、どういう人を育てて、卒業させていくかという方針が一番大事なわけです。だから私立でも、10%から30%ぐらいの学生をアジアからどんどん入学させてしまえばいい。授業は英語になり、それに対応できる先生も引っ張り込んでしまえば、世界の中でもインパクトある学校になっていくのではないでしょうか。私立の方がやりやすい。国立でやるというのは、なかなか難しんじゃないかなと思います。

だから、どういう卒業生を輩出したかというのは、大学の一番の問題。東大がいいというか、日本で偉そうな人には東大卒が多いなというだけの話ですからね。世界でどんなものだという話をどんどんつくることが大事だと思いますけどね。

安西:私大の経営のことを申し上げると、慶應の場合、政府からいただいている助成金は年間予算の10%以下ぐらいだと思います。これで慶應のパフォーマンスを出すにはどうしたらいいのか。例えば学生1,000人、2,000人の小さな大学が、完全に独立してやっていくには、授業料をいくら取るのか計算していただければ、大体分かると思います。地面と建物があれば百何十万円ぐらいでできないことはないと思います。

橋本さんは、政府から助成金をもっともらうべきと言われますが、ひもつきでない形で、私学の自主性を自立的に、これからの時代をつくっていくためには、やっぱり独立性が大事です。多くの人の賛同を得ながら、新しい人材を輩出していくということが、重要になるわけです。多くの私大がやっていくには、あまりにも日本の高等教育予算、国の助成金が世界的にみて少な過ぎるということはよく知られている状況です。

黒川:慶応大学を作った福沢諭吉を、私は大変尊敬しています。戦後の日本のブレインの一人に丸山眞男がいますが、その丸山も福沢諭吉には、全くひれ伏していました。丸山の著書『「文明論之概略」を読む』を読むと、福沢諭吉に惚れ込んでいるのがわかる。

だから福沢がつくった大学だから、慶應は大丈夫ですよ(笑い)。つまり私立でも、シンガポールなどアジアからもっと学生や教官を呼んでくればいいんですよ。全部英語でやるぞといったら人は来るし、その人たちがリーダーとなって世界に羽ばたけば、慶応は国際的になります。やはり、福沢諭吉の作った大学となりますよ。

 歴史の偉人の教訓を生かすことができるか

橋本:福沢について言えば、基本は、民が文明を開化させるという信念をもっていた。決して政府ではないという、確固たる自信。先ほど触れた、明治十四年の政変のときに、民中心になりかけたが、失敗した。政府が出す、国会を開設する、憲法を制定してきた。官とは一線どころか何線も画するという、我慢があれば、もっと違う日本もできていたのではないでしょうか。

安西:福沢諭吉は著書『瘠我慢(やせがまん)の説』の冒頭に勝海舟に向けて、「立国は私なり、公にあらざるなり」と書いていますね。また、『学問のすゝめ』も初編からで150年を迎えますが、その中で、「この人民ありてこの政治あるなり」という言葉も書かれています。教育問題から離れるかもしれませんが、やはり政治が人民によって決まるということが、明治5年の福沢の本に書かれているわけです。それを考えると、激動の幕末から明治にかけての大きな転換にも似たことが、いま日本を襲ってきているということを自分ごととして捉えることが、まず大事なのではないでしょうか。

橋本:人材教育、それから人に対する投資ということを考えたとき、後藤新平という、関東大震災の復興に多大なる貢献をした政治家を思い出します。後藤は、ドイツに留学して、ビスマルクとも会っているんですよね。「ビスマルクは言えり、一に金、二に金、三に金。吾輩は曰く、一に人、二に人、三に人」と言っています。この精神があれば、全然違ってくると思いますよね。

養子制度も人を育てるという視点で昔と今では異なっている。戦前の養子制度というのは、前途有為な、非常に優秀な、例えば後に東大教員になった矢部貞治も実は養子だった。貧しい農家の三男に生まれ、中学校にも行けない。一番上の兄は行かせてくれと懇願し、中学は行けたが高校に行けない。そのときに、自分の養子にという人が出てきたんですよ。養子となった矢部が後に東大教授になったのは、社会全体が将来性がありそうだという人を養子制度という形で育てたのですね。このことを考えたとき、いろんな人材を社会全体がリスペクトするということも何か足りない。一発ちょっとお金を当てた、もうけたという人がちやほやされるのはおかしくありませんか?

黒川:優秀な人材を育てる養子制度があったのは、経済的にうまくいっていた時代だからだと思いますね。うまく行くと日本人は調子に乘ってしまう。特に男の社会は、それが顕著です。現在は女性が進出する時代、やはり昔の男社会とは異なる。先日、慶應大でしゃべったとき、男と女は基本的に違うんだという話をした。「どうしてですか?」なんて女性が何人か来たんだけど、根本的に私は違うと思う。男は何かしようしようと思っても、1人じゃ絶対できない。仲間を使う。女性はやる気がある人は自分でやるから全然違うという話をしました。だから日本の社会は、女性がたくさんいるのが嫌なんだね。

戦後、男社会がなぜうまくいったかというと、冷戦だったからです。冷戦は、民主主義と共産主義のバトル。どこが前線となったかというと、日本とドイツじゃないですか。ドイツは、西と東に分かれた。日本の場合、冷戦のバトルがまず始まったのは、朝鮮半島における朝鮮戦争。日本は補給基地となり、一気にアメリカのフロントになった。基地も増えて男社会は維持された。それが、日本がうまくいった理由だった。

このときひどい目に遭ったのは中国、韓国。朝鮮半島は、北と南に分断されて家族が離散し、多くの悲劇が生まれた。当時、日本は幸せだった。半島の悲劇を感じ取れる感性というのは、すごく大事だと思っている。だからこそ大学のときは1年休んでもいいから、外行ってこいと言います。

プー太郎でもいいし、ODAでもいいし、アフリカ行ってもいいと言いたい。外に出ると違いを自分で感じる一方で、日本人であることは絶対変わらない。国籍を変えても日本人は変えられない。日本の弱さを痛感する。頭じゃなくて心で感じる。これは健全な愛国心だと思います。 

ユニクロは、2017年から米国と英国の大学に進学する学生に返済不要の給付型奨学金を出しているほか、笹川財団も2022年から米英の有力大学を目指す学生向けに「笹川平和財団スカラシップ」を出すようになった。ありがたいことでね。センスのある、やり方だと思います。学生はこういう機会を捉えて、どんどん外に行って欲しい。

 学術会議の役割とは何か

橋本:政治、行政、大学と幾つかの問題点が指摘されました。言葉尻を捉えるわけでじゃないですが、黒川先生は日本学術会議の会長やっていました。その学術会議は、どんな貢献をしているんだろうと、かねてから疑問があるんですよ。日本の学術向上に一体どういう役割を果たしたのか。

黒川:学術会議の会員は150人と決まっている。東海大学にいたとき、慶應OBの先輩が、「今度学術会議のメンバーが空いたから、推薦したよ」と言われて、会員になった。これはアメリカの科学アカデミーを真似たなと思いました。エリートが集まるアメリカの大学は、優れた学者の集まりであるアカデミーを作りたがるからです。アメリカのナショナルアカデミーは、リンカーン大統領が作った。政府の政策に対するコメントや分析をしてくれということですね。

教育を受けず、学歴のないリンカーンがこういう組織を作ったのはすごいと思いました。何かあると、必ずナショナルアカデミーがコメントを出す。明治時代に、学習院大でもアカデミーが作られた。その後、学術会議が発足した。だから私が会長になったとき、学術会議がどんな政策提言をしたか調べました。アメリカから米を輸入するとき、安いものを入れると日本の農業は駄目になってしまうじゃないかと言われた。その時も、日本の農業の役割という話で、委員会つくって何回も議論し、日本の農業に関するレポートをまとめ、英語でも発信しました。

安西:黒川会長時代は2003-06年、私は、その後に学術会議の会員になったんですが、任期は6年間。最後の方で、学術と言うより、どこかポリティカルな感じを持ち、変だと思いました。

橋本:軍事研究反対の件ですか?

安西:そうではなく、なんとなくですが。黒川会長の後10年ぐらい経過したときに、学術会議の見直し会議をやったときにメンバーになりました。そのときまとめた報告書は、生かされたとは思えないんですね。何となく変だなと思ってから何年か経った後、学術会議の会員の任命拒否問題が起きた。学術会議って一体何をするものなのか。政府から委託された研究のお金を受け取る機関みたいになってしまった面も出てきました。文部科学省に対しては、一定の発言力ありますから、プロジェクトも組んで、予算をつけてくれみたいな、そういう仕組みもある程度ありましたね。

黒川:アカデミーと政治の関係はアメリカがつくったんですよ。イギリスは、ロイヤルソサエティー(王立協会)です。トニー・ブレアが首相の時、ロイヤルソサエティーに来て、「Science matters」(科学が大事だ)ということをスピーチしたんですが、その内容を読んでみると本当に感動しますね。

キャメロン首相の時、G8のサミットがイギリスで開かれ、そのとき科学の二つのステートメントを出しましたが、ロイヤルアカデミーと日本学術会議と一緒にやったんです。アメリカのアカデミーも入れてね。今でもG8の時は、そういうことをやるけど日本の政府は無視している。元首相の小泉純一郎さんは、「うん、面白いね」と言ってくれたけど、ほかの役所はみんな反対。ドイツはメルケルさん自身が受け取ってくれた。素晴らしいと思いました。科学は、全てのベースだから大事といってくれた。

橋本:学術会議の問題をここで出したのは、政治、行政の観点から、総合的に抜本的に見直すという視点が大事だと思ったからです。これまで、行政改革では臨時調査会(臨調)が提言しましたが、その際、財界出身の土光敏夫さんが引っ張ってくれた。その後、教育臨調というものをやろうとしたんだけど、失敗した。それからもよく臨調、臨調ということが言われるのは、やはり足元を見つめ直すためには必要ということなんです。今こそ教育のありようについて、全体的に、構造的、網羅的にさまざまな角度から見直す、絶好の機会だと思います。

 国も大学人も学教育を真剣に考えているのか

黒川:大学人は、これだけ大学進学者が多いんだから、大学教育の目的が何かということを考えて欲しい。少なくともアメリカ、イギリスなど先進国では何をやっているかということを、大学人が勉強して、どういう機能を持たせるのか、考えるのが、大学人の責任なんですよ。大学の教育というのは、ノウハウを教えているわけじゃない。文系、理系なんて分かれているのは日本だけですよ。日本は、150年前に開国して、欧米を視察した岩倉具視使節団は、本当に真面目に勉強しました。もう感動するよ。今それと同じ事をしていますか。自分で「なぜ」を突き詰めることが大事なんじゃないかな。それが高等教育の目的だと思っていることを言いたかった。

橋本:安西先生、教育分野で顕著ですが、「猫の目行政」といわれるように、しょっちゅう方針が変わっています。大学入試のやり方、ゆとり教育の導入と撤回など、検証もせずに、制度を変えることが目的になってくるみたいな感じです。どう思いますか?

安西:文部科学省というのは、省庁再編で、科学技術庁と文部省が一緒になってできた。ここから、文部行政と科学技術行政がなかなかかみ合わないままに来ている。橋本さんが言われたように、文部行政の大部分は、高等教育というより、初等中等教育なんです。初等教育を担う公立の小中高の先生だけでも全国に100万人以上います。学習指導要領をもとに教えていく。それに、教員の給与を手当てすることが、文部科学省の一番の基本になってしまっていますね。

これからの時代の教育をどうしたらいいかということは議論されず、ドラスティックな転換はなかなかできないんです。だから、我々、民間の方がリードして、市民の方から今後の教育はこうあるべきといわなくてはいけないと思います。いつまでも文部科学省何やっているんだといっても、彼らにはできないからです。私の経験と実感です。

橋本:そこに話をもっていきたかった。高等教育を考える場合でも実は、初等中等教育がきちんとしていない限り駄目です。日本の教育制度のありようを全体的に考えるときに、そこのところ気をつけていかないといけないですね。

安西:小学校、中学校はご存じの通り義務教育です。義務教育を終え、高等学校に行くときの進学率は、日本全体で大体98%ぐらい。大学への進学率は50%強ですね。高等教育、つまり大学教育の問題を考える時に、高等学校は一体何なのかということを考えることはとても大事です。高校のときは、与えられたものを覚えることが優先される。大学へ行ってから、自分で考えてということにしていくのか、それとも高校のときから、自分で考えて行動するということをやっていくのか、この議論は大事ですね。

発達の段階を見ると、高校というのは、もう本当の思春期の後半で、将来、自分の糧になるもとになる経験をしていくのに、最もいいときなんですよね。だから高校の段階で、ただ覚えるということを重視し、大学に行ってから、アクティブラーニングといいますけど、自分で考えて進める教育をやるのは、も遅いのではないかというのが私の見方です。高等学校の教育政策をどうすればいいのということについて、黒川先生に聞きたいところであります。

 文系・理系」って意味があるのか

黒川:アメリカやイギリスの大学は文系、理系なんて分かれていませんけどね。卒業する時までに決めればいいわけです。プリンストン大とか、いい大学へいくと、1週間どのぐらいクラスがあると思いますか? せいぜい四つぐらいですよ。日本は教えすぎ、詰め込み過ぎ。そのかわり、アメリカは、いくつかの本を提示され、その中から本をたくさん読まされる。この読書を受けて講義がある。その後、議論させるなど競争的な側面もあるので、詰め込みと、考えさせるという両方の教育があるわけです。

みんなが知っているマイケル・サンデルは、ハーバード大に行ったけど、詰め込みだけでは面白くないよねと、“白熱講義”を始めたわけです。面白いんだけど、でも今はそうではないでしょう。世界中でマイケル・サンデル状態になっちゃったから。

マサチューセッツ工科大学(MIT)は工科大学だけど、日本でいう文系だってすごい強いんですよ。どんな本を読まされるか。トップ10のうち最もおおいのがプラトンですよ。アリストテレスが二つ入っています。マキャベリも入っています。マルクスの『共産党宣言』も入っています。労働と資本という内容。つまりエリートは、文系、理系なく、みんなそういう講義を受け学んでいく。

日本の場合、文系、理系に分けています。工学部という形で学生を入学させた大学は東大が世界で初めてです。当時の日本は、そうやって教育するのが高等教育の目的だったというわけです。進学率が現在のように50%になると、もっと多様性があってもいいけど、本来の大学の姿は、プラトンとかアリストテレスとかマキャベリとかを学ぶことではないかなと口を酸っぱくして言っている。

なぜ高等教育を受ける人は、マキャベリとか、『共産党宣言』を知らなくてはいけないのか。個人的な経験ですが、ある問題をずっと考えた時、朝6時になってひらめいたときあった。そのことについて、実は私はこう思うんだという話ができたとき、本当に嬉しかった。今までにない経験だった。

つまり、覚えるんじゃなくて、自分が知りたいことを一生懸命考えて分かったときって、嬉しいですよ。アメリカやイギリスの高等教育を受ける人には、考えるための素養としてマキャベリ、マルクスが、まず必要だということで、学んでいるのだと私は思う。

だから皆さんも、普段から「何でこうなんだ」「何で縦割りなんだ」と、一生懸命考えください。自分がすごく納得できる、これに違いないという答えが出たときは、すごく嬉しいはずですよ。先生がいて、社長がこういうからではなく、どうしてそうなのかということを一生懸命考えて、知りたいと思ったことを調べることが大事と思っている。高等教育の目的というのは、自らの問いに、いろんなレベルで自分なりの回答を出せる能力を基本的に涵養していくところじゃないかな。そのためには、歴史を知らないと、深く考えられない。

橋本:古典の持つ意味ですね。やはり人間はどう生きるかというのが一番の基本だと思うんですけどね。そういうものを限りなくいろんな形で教えてくれるのは論語であり、ギリシャ哲学であると思っています。

 本を読まない時代に読ませる本は何か

安西:黒川先生が言われた、英米の一流大学のシラバスに載っている本の中で一番多いのが、プラトンの『国家』です。黒川先生が、なぜだと思うのかと質問されたので、一生懸命考えたてみました(笑い)。私が思ったのは、やはり黒川先生が言われたように、考えるためにということです。古典というのは、人間と社会について考えようと思ったときに、深みがものすごくある。そういうことなのかと深く身に染みた。皆様は、どうなのか自分で考えてみてください。

もう一つつけ加えると、今でいう参考書ランキングじゃないかと思う。日本の一流大学で参考書ランキングつくったら、どれが一番に来るかなというのを調べてほしいと東大の先生にお願いしましたが、まだできていない。どなたかやっていただけないかと思います。

日本の大学も今、社会科学とかの授業、文系、理系問わずに、本つまり参考書を提示して、読ませますが、それを全部集めて、どのぐらいの数、どういう本が、例えば『歎異抄』『源氏物語』などがどのくらい読まれているのか、ランキングをつくってほしいですね。

橋本:ただ、私は疑問があるのは、私が勤める新聞社でも、記者が本を読まなくなっている。それでいけないと、「記者が読むべき本」というのは、いろんなジャンルから挙げて、まとめたんですよ。でも、よく考えると、そんなことは自分で考えろという話ですよ(笑)。人から言われて読むのではなく、高校生は高校生なりに、どんどん進んでいくと、どの本を読むべきか、その選択も次第にできるようにならなくてはいけないと私は思っている。

 親の年収が子供の学歴に影響する世の中

橋本:ここまでに触れられていなかった非常に大きな問題として、格差の問題を取り上げたい。今の岸田内閣というのは、そもそもの出発点は、格差を少なくしようというわけです。新しい資本主義を提唱し、格差を少なくすることを目指した。それを実現するにはお金が必要なので、経済も成長させなくてはいけないということになった。使い道の監査の問題じゃなくて、成長させる話ばかりになっていますね。

今、東大生の親の年収は、他の大学の学生の親より格段に高い。逆にいえば、年収の少ない家庭の子は、東大をはじめ有名大学に行こうと思ってもいけないという格差の現実があります。だから、お金の問題で、最初から教育格差ができて、その子孫の将来も決まるという格差の固定化があります。私は戦前よりもはるかに今の方が、格差があると思いますよ。これこそ政治がやらなければいけない問題じゃないですか?

黒川:その通りですよ。高等教育をうける人々、つまり大学進学率が50%になったことも問題かもしれない。昔はそんないなかったからね。1960年代で10%。ヨーロッパでも6%台ですからね。アメリカは20%に達していた。男は軍隊に行った後、戦争から帰ったときに大学に進学できるということだった。だからカリフォルニア大学もたくさん分校をつくった。大学教育の目的は何なのか考えると、日本はずっとアメリカの真似をしてきたという側面がある。これはすごく問題だと思う。

安西:橋本さんのおっしゃる通りで、親の年収が子供の学歴に影響するというのは、明らかにデータで出ているわけです。日本の人口が減少する中で、産業構造も大きく変わる、雇用のあり方も変わってくる。社会が変わらざるを得なくなると、必ずやはり格差の衝突、問題は絶対起こるんですね。こういう問題を食い止めるの、やはり政治ということになる。政府の役割はとても大きい。

お金のある上の方は自由にしていてもいいが、日本の特徴というのは、アメリカほどの格差がない社会というところにある。そういう社会にするためには、所得の少ない家庭の高等教育を支援するなど、政治が重点的に支えていくという方向を取る必要はあると思います。そこが、今後の日本の政治で何ができるかを考える上で重要です。それは地味だけど、日本が向かうべき方向を決めるということではないでしょうか。

橋本:日本社会の安定性は、やっぱり中間層の厚さが、他国に比べてあったということが要因だった。今、その中間層がやせ細ってきて、日本社会の安定性が揺らいできた。それが、教育、つまり、その人の一生を決めることにまで影響を及ぼしているというのは、何とかしないといけないですね。

安西:そうですね。今急速にデジタル化が進んでいますが、このデジタル・トランスフォーメーション(DX)は、むしろ富裕層を持ち上げる可能性はあります。ということは、つまり政治は逆に、その格差是正の方向に奮ってちょうどいいという、ことになると思います。

 政治現場に横たわる諸問題をどうするのか

黒川:今日、モデレータを務められている橋本さんは、テレビなど多方面で活躍する政治評論家なので、どこかで言ってほしいと思っていることがあるんですね。それは、国会議員のことです。日本は三権分立の国家だけど、行政府は決まった法律を執行するだけで、政治は、立法府の議員がその気にならないと何も変わらないということです。もちろん行政から法律を作る、政府原案というのがあるけど、それも必ず議会を通さないといけない。だから国会議員の役割は大きい。福島原発事故関連で衆議院に呼ばれ、議員に向かっていったんです。

「あなたたちは立法府の人だというの分かっているの?」という話から始めました。法律の原案が政府から来ても、自分たちでちゃんと審査しなくてはいけない。日本の企業は困るとまず役所に行くんですよ。それは三権分立じゃない。だって、あり得ないじゃないですか。イギリスの人が、政府に問題があったら、政府に相談に行くと思いますか? 

国会議員ですよ。国会議員でなくて政府に行くのは、法律を審査、作る能力がないっていうことです。世界で、親を引き継いで国会議員になった人がどのぐらいいるのか、調べたことがあります。一番多いのは、タイとフィリピン。3番目がアイスランドなんですよ。私の考えですが、アイスランドというのは、もうできることみんなやっちゃっているのではないか、小さな国でもあるしね。地球温暖化対策も全部やっているし、教育レベルでも高いからね。

4番目はどこだと思いますか。日本ですよ。つまり、親の跡を継いで議員になった人が多い。ドイツは少なく2、3%ぐらいだと思います。なぜかということを考えてください。つまり世襲はいいけど、みんな同じところから来る。そこに金持ってこいよということ、利権ができているからじゃないと思うわけです。だから、その利権をなくす意味でもが違うところから出すのはいい。その方が、地元のためじゃなく、国全体のことをやってくれる。三期やったら場所を変えるのもいいんじゃないですかと議員さんに言いました。地元を守るのは、世襲である必要はない。

橋本:この世襲の問題は、一つは後援会組織にあります。自民党の場合は、政党組織を後援会が支えているわけですよ。次に誰だ、議員に立候補するかという時に、まったく別の人より、今までやっている人の息子だとやりやすく、まとまりやすいわけですよ。かなりの部分、そういう要素があるんです。一応子供だから、軋轢なく後援会との間もやっていける。つまり、後援会が安心するという側面はある。それから知名度があるので、当選しやすい。そんないろんな要素があるので、世襲はなくならない。だから、思い切って、同じ選挙区ではでられないという制度改革をやってもいいのではないか。

イギリスの小選挙区制は、あの「鉄の女」と言われたマーガレット・サッチャーさんだって、みんな弱い選挙区出されて、そこで努力をして支持を集めて首相に登り詰めたわけですよ。日本でも、こういうことをもっとやらないといけない。ただ、もう一つあるのは、昔は「末は博士か大臣か」と言われました。それだけ大臣というのは尊敬されていたんですよ。今、尊敬されていますか。尊敬されていないでしょう。なぜかと言えば、尊敬に値しない人だからですよ。尊敬という言葉が出てこないような人が大臣になっているということに問題もある。

やはり、政治に対して、汚いものだ、という国民の意識があるからなんです。このことを、政治家になろうという人もずっと見ている。一応志を立てて、国のために何かしたいということを持っていますからね。持っていないと、あんな過酷な労働に耐えられません。持っているんだけど、それが磨滅していくんですよ。というのは、尊敬もされなければ、時間外労働ばかりだということになる。だから、志のある人、尊敬される人が政治家になろうとしない。

それは私たち自身、国民の問題でもあるんですよ。やはり選ばれた四百何人が、衆議院の場合は、我々の代表なんですから。代表に対しては、ちゃんと敬意も払うことも態度も必要ですね。

 日本人ノーベル賞受賞者はアウトライヤー

橋本:最後に、黒川先生から、安西先生の本「Learning and Interaction」(慶應義塾大出版会)についてのご紹介をお願いします。

黒川:安西先生は、何を研究していたかというと、「認識」ですね。私たちは日常生活の中でさまざまナレッジ(知識、情報、認知)を持ちますが、それを集大成したのがこの本です。全部英語で、読むの大変なんだけど先生のライフワークです。

ノーベル賞をもらった日本人の話をします。みんな変人でしょう?だって、これをやりたいと、ずっとやっていただけの話ですよね。2021年にノーベル物理学賞を受賞したプリンストン大の真鍋叔郎先生なんか、地球温暖化を示す気候変動モデルを構築したわけです。日本だと研究者同士でも言いたいこと言えないから、アメリカに渡って研究をつづけた。自分のやりたいことを一生懸命やっていたというだけの話でね。

だからそういう意味では、日本でノーベル賞もらった人って、ほとんどが日本のシステムのいい意味での外れ者(アウトライヤー)なわけですね。化学賞の野依良治先生なんかも、京都大学を出て大学院に行った後、仕事がなくて、名古屋大学の助教授になったわけです。そのときに教授に「好きなことをやればいいんだよ」と言われたのがよかった。だから、独立した人を育てるというのは、すごく研究では大事ですね。

橋本:それでは、時間も過ぎたようですので、この辺でおしまいにしたいと思います。

 国民みんなが考える場として続けたい

進行(馬場):ビッグトークショー、一区切りついたようですが、このトークは、発散するばかりで、どこにも収斂しないで終わっているわけです。3人から出たお話では、縦社会の日本、横に動けない日本、それから大学のあるべき姿、国立大学のあるべき姿と私立大学の問題点。それから学術会議は、何のために存在するか、文部行政と科学技術行政の非常にミスマッチングな行政庁のあり方、そして最後は教育問題が出てまいりました。初等中等教育、義務教育は文科省の所管でございますけども、高等学校教育というのは非常に重要なものなんだという提言がございました。最後は国民みんなが考える必要があるんだということに収斂をしていったと思います。

モデレーターの橋本五郎さんは、政治評論家でもありますので、政治現場の特に、地方の商工自営業者を中心に支配されている日本の選挙区のあり方と政治の在り方をちょっとだけ話したところで、残念ながら時間になったということでございました。

この課題についてはまた折を見て、こういう社会的な発信の場として続けていきたいと思いますので、皆様も陰ながらご支援いただきたくお願いいたします。それでは、いま一度3人の先生方に温かい拍手をお願いいたします。[拍手]

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