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大学教育の立て直しを考えるーパネルディスカッション

2023/07/31

21世紀構想研究会創設25周年記念シンポジウム その3

大学教育の立て直しを考える

パネルディスカッションの報告

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日本の大学の良さはどこにあるのか

橋本     3先生、プレゼンテーションありがとうございました。今回の先生方の報告は、同じような問題意識をお持ちで、いつになく共通していましたね。最初にお聞きしたいことがあります。皆さんの報告によると、日本の大学は絶望的。どん底という感じですね。

悪いところを挙げてこれを改革しなければならないという方向の他に、こんないいところがあるんだから、これを伸ばしていけばもっと良くなるのではないかという発想もあるのではないかと思います。

たとえば、日本は中間層が非常に分厚いといわれる。ピンとキリの格差があまりにも大きすぎるアメリカに比べ、中間層の厚さが日本社会の安定につながっているという。それがやせ細ってきたことが問題ではありますが、そうした観点から見れば、日本の大学にもひょっとしたらいいところがあるのかもしれない。あえていいところを皆さんにご指摘を願いたいと。黃先生から、ありませんか。

黃(以下、ウイと表記)   日本の大学のいいところは、まず学費が他の国と比べて非常に安いことです。たとえば日本とタイ。タイはみんな安いと思っていますが、実は学費的にはそんなに変わりません。欧米と比べたらどうか。

この前日本にきたオハイオシティ大学の学生たちに聞くと、オハイオ市に住んでいる人が1万米ドル。同市以外に住んでいる人たちは2万4,000ドルということでした。ざっと日本の倍以上ですね。日本の学費がまだ非常に低いから、いろいろな発展途上国からの留学生にとって非常に魅力的です。

もう一つの良さは、先ほど申し上げた日本の大学のハードウェアが非常に進んでいるということです。医学系の大学をみても、日本に限らず、中国やタイなどの一流大学のほうが欧米の大学よりも、MRI(核磁気共鳴画像)装置などが最新型だったりします。

ところが日本はソフトウェアのほうで負けている。研究時間が少ないとか、たくさんのデータを持っていても効率的に論文にできないとか・・・。

いったん気付けば日本の学生の成長は早い

橋本     各務先生、いかがですか。

各務     先ほど非常に惨憺たる数字をたくさん並べましたけども、日本の大学には良さもあります。日本の学生は(問題の所在に)気付けば、その後の成長が早いというところですね。気付かせると、本学の学生たちも、1、2年生で、1年くらいの間に本当に急激に伸びるんです。その「気付き」のきっかけとなる多様性のある環境をつくりたい。

この背景には、基礎力の高さがあります。読む力、計算する力、それから小学、中学の教育が非常にしっかりしているので、他国に比べて気付いたときの伸びがものすごい。そういう意味では、大学までに本当はもう少し気付いてもらえる機会があればいいなと思うんです。

自分で選択肢を探してきて、こういう問題があると気付いたときの伸び具合は目の輝きに表れ、いつも感動して見ております。多様性をもった気付かせる場を、もう少し日本がたくさん設定できれば、学生の実力があるので、成長は早いと思います。

橋本     個々の大学、あるいは大学行政として、その「気付き」をさせるような方向に持っていってないんですか。

各務     持っていってないです。多様性がないんです。先ほど欽ちゃんの話をさせていただきましたけども、欽ちゃんが入学式に入ったときに、1人だけ72歳なんです。みんなびっくりしちゃって。だけど、こんな歳になっても授業受けていいんだと学生が気付き、自分の両親であろうが、祖父母であろうが、もう1回学び直しいいんじゃないのかという意見が培われるわけです。

均一性が気付きを少なくしているというのは、現場で肌身にしみて感じております。それをなんとかごちゃまぜにして、様々な多様性を大学で集約させると、やはり伸び方が違うんじゃないかなと。先ほど安西先生が東大一極集中みたいなこともおっしゃっていましたけども、いろいろなことがあっていいんだと気付いてもらうため、背中を押したいと思っています。

国としてのレベルの高さや生活の質の高さ

橋本     安西先生、いかがですか。

安西     日本の大学のいい点を挙げると、やはり日本そのもののいい点ということになるんですね。何かというと、やはり歴史があって、文化があって、安倍さんは撃たれたりしましたけども、治安もまあまあよい。環境が清潔で、水道水もそのまま飲める。

日本の中で生まれ育った学生にとっては当たり前ですけど、留学生なんかから見ると、そこのところを魅力的に感じる。今中国等でも、大学生の間で日本語の学習などがかなり人気になっているけれども、その理由としてビジネスや技術の面もあると思いますが、そういう全体的な日本のレベルというんでしょうか、生活の質、これが大きいと思うのです。

もう一つだけ挙げると、ちょっと逆説的ですけどれども、18歳くらいから20いくつまで、一種のモラトリアムというのか、自由な時間を持てるということですね。世界標準では、大学というのは一生懸命勉強に専念するのが当たり前なんですけれども、日本の大学の場合には、いろいろなことを経験する時間があるということですね。

これをいいと捉えるかどうかは議論のあるところですが、事実としては、日本の学生って、意外といろいろなところへ行って、いろいろなことを経験できているというふうには思います。

多様性のなかで個の確立と独立自尊を

橋本      話を変えて、さきほどから指摘されている国際競争力の著しい低下問題。評価自体が欧米の(独善的な)基準ではないのかという感じもしないではないんですけど、それは置くとして、この国際競争力をつけるためにはどうしたらいいか。ここがやっぱり皆さんの中で一番の緊急の課題と思いますが、いかがですか。

各務     今私、デジタル化とダイバーシティ(多様性)を公約に掲げてやっていますけども、それも全部手段なんです。デジタル化によって、あるいはダイバーシティがあるんだよということを知ることによって、違いに気付くと。違いに気付くことによって、日本の良さをもう一度再興してほしい。そうすると自信もつきますし、自分で発信しなきゃいけないとか、世界に貢献できるんじゃないかという気持ちも出てくる。

デジタル化で世界の情報がどんどん入ってきて、海外の人たちとやりとりをすると、自分自身のオリジナリティを確認し、歴史のある日本というのはやっぱり誇るべきものがあるぞと気付ける。デジタル化を通して、ダイバーシティを知ることによって、多様性がある我々の日本の良いところに注目し、それを世界に発信したり、あるいは地球に貢献したりという気持ちを高めていただけるといいなというのが私の思いです。

橋本     この多様性をどう考えるかですね。私がすぐ思い浮かべるのは、湯川秀樹さんは、数学はものすごくできたがあとは全然駄目で、お父さんが大学へ行かせないという。それを森という先生が、強くお父さんを説得するんです。そしてノーベル賞学者が出る。ということを考えたとき、何も大学のときの多様性ばっかりじゃなくて、それはもう小さいときからの多様性がむしろ大事なことではないのかという感じはするんですけどね。

各務     私先ほど挙げましたけど、年齢の多様性。欽ちゃんが入ってくることによって大学はすごく多様になった。それから文化の違い、ものの考え方、民族の違いも全部多様ななかから、個を生かす道がでてくる。自分自身を見いだすためには自分をさかのぼって深めることが必要です。

結局日本人として誇りを持つために日本の歴史を知り、日本の伝統を知り、著名な方たちを知りるなどして自信が出てくる。そういう意味では、多様性というのは個を生かすとことなんだろうと思っています。

安西     気を付けなきゃいけないのは、多様性と言っていると多様化した気持ちになってしまうこと。それは避けたい。教育の国際競争が無視できないなかで、留学生が日本に来るか、それとも東南アジア、あるいは中国、韓国に行くかというのはもう分かれ目のところに来ており、日本で学ぶことの意味がどこにあるのか問われていると思います。

多様性が叫ばれるなかでも、やっぱりもう少し独立自尊を進めるべきだというふうに思います。

日本の大学の良さ発信を

橋本     ウイ先生。先ほど、語学の問題も指摘されていましたよね。それも含めてご意見は如何ですか。

ウイ      実は私からみて、日本の大学というのは素晴らしいところいっぱいあります。たとえですが、山の上にすごく甘くておいしい果物をつくっても、マーケットに持ってくる流通がほとんどないと、果物が腐って鳥に食べられてしまう。非常に残念なことです。実は、日本の教育、日本の大学の状況は、そのように考えればいいんじゃないかと。

要するに、日本の大学の素晴らしさをいかに発信して、世界に伝えていくかということですね。大学の先生が海外に行って、学会発表をした後にすぐ帰らずに、せめて近所の大学や姉妹校などで、日本の教育とか研究成果などを発表するとよいですね。宣伝が欠けているということです。

文科省の規定では、海外に行って教育活動はしていいですけれども、宣伝する分の予算として使えないとか・・・。そのような規定を外せませんかということを提言したい。もう少し日本の大学の素晴らしさを海外に宣伝すれば、必然的にみんな来ますから。

大学の序列化は若者側にも問題が

橋本     ウイ先生と安西先生が共通して、大学の差別化というか、序列化、レッテル化の問題をとりあげました。具体的にどういうマイナス面があるのですか。

ウイ      グルーピングをするということは、自分たちはあのグループに入れなかったらエリートじゃないといった劣等感を感じてしまう。それぞれの大学が独自性、オリジナリティを完全に出していければ、これはいずれ壊れていくと思います。

橋本     なるほど。しかし、アメリカでもアイビーリーグとか、いろいろな形でグループ分けをしてるんじゃないですか。これは避けられないことでもあるような気もするんですけど。

安西     私が「第2東大」と申し上げているのは比喩的なことなんですけれども、あまりにもとんがったピラミッド構造というのは、二つ弊害がある。

一つは大学側の問題で、そのピラミッド構造が固定されているために、もうそれでいいんだみたいになってしまう。もうすこし柔軟に変われるようにしてほしいというのが1点です。

もう一つは、若い人から見たときに自分のパスが複数あってほしいなと。「ここはもう駄目だから自分はもう駄目なんだ。一生駄目なんだ」などと思わないで済むような日本にしてほしい。

橋本     今新聞社の入社試験でも、大学を見ないで人を見るというやり方をしている。一般の企業でもそういう形で進んでいるんじゃないか。

私新聞記者ですけど、記者がどこの大学を出ていようとほとんど変わらないんです。大学より、その人間が、これからどういう具合にやっていくかによって全然違ってくる。

社会の側というより、むしろ受験生や学生側が分かりやすいからと(グルーピングを)受け入れているのではないか。このことが大学などの教育改革を阻んでいる大きな問題なのかと。

安西     今YouTubeをご覧になると、むしろ若い人がそういう偏差値をあおっており、受験生向けに「こういう大学を受けるといいよ」といったものがいっぱい流れている。企業のほうは変わりつつあるのに、若い世代の一部で序列化情報が回っているようなところはあるような気がしますね。

橋本     ウイ先生のおっしゃる不使用宣言。問題提起として非常に面白いと思いました。偏差値からくる序列化をどう壊していけばいいのでしょうか。

ウイ      偏差値のことを見直す第一歩ということで、やっぱり高校で進路指導する先生が、まずそれを口にしなくなれば、必然的に消えていくんじゃないかということです。

大学デジタル化の難しさ    

橋本     各務先生がコロナ以降のあり方として、デジタル化と多様性ということをおっしゃいました。デジタル化についてマイナンバー騒動を見ていると、現場が一体どうなっているのかまったく理解しないまま河野大臣が上からやれと言っても、現場が混乱している。

大学においても、全体の方針としてそっちへ行かなきゃいかんというだけではなく、大学の側の努力や体制が求められる。そういう観点からいえばどうですか。

各務     これはもう本当に難しいですね。デジタル化を実現するためには、デジタル化をきちっと教えていただける人材が必要。本学は文系の大学ですので、デジタル化を教えられる先生が本当に少ない。

教職員、職員も含めて、我々は大人になってからインターネットが出てきましたので、基礎をきちんと学んでこなかった。ただ、唯一情報工学を学んでいる先生が少しいまして、その先生を中心にして少しずつオンラインで講義をしたり、説明をしたりというのを、地道に繰り返す以外ないんです。本当に人材不足というのは喫緊の課題ですね。

橋本     それは、民間にいっぱい人材がいるわけですから、民間の人をアルバイトなどの形で雇えばいいじゃないですか。それを国が補助する形とか。

各務     いや、もうお金がかかります、本当に。ハードウェアのほか、使えるソフトウェアを買わなきゃいけないし。私大連でも言っていますけど、私立大学の8割は文系です。圧倒的にデジタルとか理系は少ない。ですから、人材不足をいかに克服するか、本当に大変です。

安西     デジタル化といっても、いろいろな部門があります。事務サイドの業務のデジタル化から、教育のいろいろな情報を全部オンラインでネットワークに上げて、クラウドに保存する。それを学生がいつでも見られるようにするというデジタル化もある。

さらに、単位の柔軟化ですね。1年学校来て単位を取って、また海外に行って戻ってきて、また単位を取るような自分のレコードをずっとキープできて、それで卒業できるようなシステム。研究面でも、論文に関する事とか・・・。それらいろいろなシステムが重なりあっています。

また最近では、生成AIのChatGPTなども登場してきました。私立大学情報教育協会というのがありまして、その加盟大学のChatGPT使用ガイドラインの原案をつくったのが私なんですが、倫理的なことも含めて、こうしたことにも対応していかなければならない。

ウイ      私も最新版のChatGPT4を使ってみました。たとえば「日本の大学が直面する問題は?」ということを聞いてみると、一応四つの答えが返ってきました。でも私からみれば問題はもっともっとあるんですね。何倍も。まだこうした状況ですが、こういう分野は発展がすごく早いから、どんどん進み、変わっていくでしょうね。

大学におけるリベラルアーツの必要性

橋本     私がずっと思っているのは、大学の4年間で何ができるんだろうかということ。八十何年の長い人生の中で、大学の4年に全部荷物を背負わせていいのかと。デジタル化もあれば、多様性もあれば、あらゆることをこの4年間で教え、学んでもらうことは不可能な話。となれば、4年間で最低限やらなければいけないことはリベラルアーツ(基礎教養)の問題であって、基本的な人間としてのありよう、学ぶことの意味。それさえ教えればいいのではないか。いかがですか、各務先生。

各務     賛成です。デジタルとかダイバーシティと言っていますけど、これも手段だと思っています。自分自身のオリジナリティ、どういうふうに育ってきて、自分は何者なのかということに気付いてほしい。他者と違う自分というものに気付ければ、もうそれで大丈夫だと思います。その気付けるための手段や選択肢を大学で提供したい。

橋本     一番嫌なのが、企業の人が、なんか役に立つ、卒業して役に立つ人材を育ててほしいっていいますが、そんなのできるわけないじゃないですか。非常に疑問なんですよね。改めて、4年間で何が可能なのでしょうか。

安西     日本全国で短大まで入れると、今1,100以上の大学があります。そういう大学全体を考えたときには、やはり社会で生きていくためのあるレベル以上で仕事をしていくためのスキルをちゃんと身につけるということはやっぱり大事だと思います。そのうえで、リベラルアーツの必要性はおっしゃるとおりなんですけど、何がリベラルアーツなのか定説があるわけじゃない。そこはやはり、とくに駒澤大学等々で、むしろ提唱していただけるとありがたい。

個人的には、やはり人生の判断ですね。何か非常に大きな出来事が起こるときに、自分で判断する基準になるのは何か。それはやはり、昔の歴史的なこととか古典とかで学んだことなども全部含めた、生き死にかかわる問題の基準を与えてくれるものがリベラルアーツだろうというふうに、自分としては見ています。そういう議論なしに、ただいろいろなことを並べて教えればリベラルアーツだというのには、私は賛成できない。

橋本     ウイ先生、いかがですか。リベラルアーツ。

ウイ    大学の教育に関して、やっぱり基本的には分析する能力を与えるということが重要ではないか。リベラルアーツであろうとサイエンスであろうと。要するに、自分で分析する能力を持っていなければ、その後の発展性がないんじゃないかなと。

大学の定員割れ―台湾では「3年連続」でアウト

橋本     話は変わりますが、先ほどもありました、定員割れの大学が40パーセントという問題。私は、日本私立学校振興・共済事業団という組織の委員をやっていて思うんですが、これだけの数の大学が必要なのかどうか。さらに問題なのは、自己評価させているんですよ。ほとんどの大学は、自己評価にAは絶対つけない。Bなんです。Cになると問題ですから。全部Bになんの意味があるのか。

それに膨大な大学の職員を費やして、またそれを血眼で見ている文部科学省がいる。そういう大学行政のありようが、かえって大学の自由を奪い、疲弊させているという感じがすごくするんですけども。

各務     なかなか申し上げづらいところですけど、自己点検には本当に時間をかけておりまして、一年中ですね。各学部の先生方も時間を使っていただいて、大変な作業でございます。求められていることを解釈して、形式的に書いていくと、同じような形のものが出来上がってしまう。個性を出して差別化するのは、非常に難しいですね。

ウイ       定員割れの問題に関して参考のために紹介すると、台湾には今大体160から170の大学がありますが、台湾政府がそれぞれの大学の一つの学科が3年間続けて定員割れすれば、その学科を閉鎖しなさいと決めています。

3ストライクアウトということですね。これはもうほとんど例外なし。日本でそうしたことを実施するとえらい爆弾になります。足りない学生は、留学生で埋めているというのが実情では。

橋本     これは学校経営どうするかという問題ですね。教育や研究上の資質とは別に、経営的な手腕の優れた人材に学校経営を任せるという方法はいかがですか。

各務     私もそう思っております。海外の大学を見ても、やはり事務方にはMBA(経営学修士)を取っていたりして、ビジネス組織の論理やマーケティングを理解し、きちっと経営できる方たちをそろえている大学が多い。日本もそろそろそういうふうな形にしていったほうがいいと現場では思っております。

橋本     安西先生、いかがですか。

安西     元々大学の数が増えたのは、文部科学省の設置の方針が、自由につくっていいけど自己責任ですよという感覚があったと思うんですね。それを踏まえると、経営ができなくなった大学は退場せざるを得ないと、合理的には思います。

しかしセーフティネットがどうしても必要で、来年から大学をやめるといったら、学生はどこに行っていいかわからなくなる。近隣の大学で受け取ってもらうなどセーフティネットをきちっと整備しなきゃいけない。

橋本     ウイ先生から定員割れを3年間続けたら退場という話がありましたが、日本でやれば大変ですね。

ウイ      私から見ていたら、日本の大学の学長や理事長には、文武両道の人間が必要ということです。文(研究・教育)もできるし、武(経営)でもできるという。要するに経営と学問と教育とが全体的にできる人を探せば、大学の運営は安泰ですかから。

問われる大学入試のあり方

橋本      予定の8時半まであと10分になりました。ここまで聞かれて、黒川清(元日本学術会議会長)先生、いかがですか。

黒川     この前たまたま財務省の役人らと話す機会があり、外国の大学、ハーバードやケンブリッジに入学試験があるかどうかという話になった。実は(日本の筆記試験に相当する)入試がないんですね。

日本はどうかというと、筆記試験重視の大学入試をターゲットにした教育が長年行われてきた。日本の教育をちょっとさかのぼると、たまたま明治維新という、たった100年ちょっと前にうまくいったから、調子に乗っているだけという面があります。

戦後もそうですが、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるとすぐに調子に乗ってしまう。なぜうまくいったのか。それは様々な状況のなかで、モノを薄く軽く作るなど(モノとして目に見える)タンジブルな部門でたまたま能力を発揮できた。だが日本人は、目に見えない部分は必ずしも得意ではないのではないか。なぜ入学試験があるのか―まずそうしたところから考えてみる必要があるのではないか。

橋本     今の黒川先生のお話、いかがですか。もう受験なしとか。

各務     本当に入試制度はなんとかしたいと思いますね。偏差値のみですから、順番になっちゃうんですよね。やはり多様性のある入試制度にしてもらえるといいなと思いますけど。

橋本     安西先生、それ責任あるんじゃないですか。

安西     責任があるかと言われても困りますが・・・。大学に行きたい人の数が受け入れるよりも多ければ、論理的にいっていわゆるフィルターは置かざるを得ない。じゃあそのフィルターとしてどういうものを使うかということになります。それを数学でいえばスカラーというんでしょうか。一つの偏差値みたいなんじゃなくて、ある程度ベクトル化された、いろいろな尺度でもって見るべきではないかと思いますね。

これは冗談で言うんですが、東京大学の入試に100メートル競走を入れたらどうかというような考えです。芸術でもいいですし、あるいはコミュニケーション能力でもいい。

ChatGPTが出てきてこれから大事になるのは、ただ言われたことを知識として覚えるだけじゃなくて、ディスカッションとかコミュニケーションに持っていく能力やスキルですね。学ぶ力。さっき分析力と言われましたけれど、そういう力を大学で学ぶべきで、そのための素養があるかどうかというのをフィルターのところで見るべきじゃないでしょうか。

橋本     ウイ先生、先ほどの入試撤廃説いかがですか。

ウイ      一応今までどの国も、入試をやってきました。アメリカのいくつかの大学では、そういう入試だけじゃなくて、高校の成績も考慮しているということですね。日本の私立大学には、推薦入学ということがかなりありますので、そっちのほうも続けていけばいい。

問題は国立大学の授業料が58万円で、駒澤大学の授業料が140万円といった格差ですね。もう少しこのギャップをせばめると、またちょっと違ってくるんじゃないかなと思います。

黒川     少子高齢化がクライシスに近い状況の中、大学もいいんだけど、大学に高校生の50パーセントもが行く必要があるのかという話もあります。昭和20年で大体5パーセントくらいで、その後10パーセントくらいになった。これは、アメリカのまねしたのかなという気がしないでもない。

アメリカでは、男性に必ず兵役義務があった時代に、兵役から帰るとGIビルというのが出て、必ずパブリックの大学に行けるようになった。それでアメリカでは大学が増えた。日本も同じベースでやったのではないか。この比率をカットしていくというのは、ものすごいエネルギーが必要なわけですが。

激変しつつある大学の情報環境

中尾     中尾(政之:東大大学院工学系研究科機械工学教授)です。コロナが明けて痛感していることがあります。大学での会議もオンラインでやる必要がなくなったのに、わざわざ(オンライン会議システムの)ZOOMを立ち上げてやるようになった。文字起こしを自動的にやってくれて、それをChatGPTに入れて500字以内のサマリーも作らせることができるというわけです。

メタバース工学部というのを去年の9月から始め、ZOOMで先生方の話を流し始めました。こんなもの誰が聞くんだと思っていたら、またたく間に2,500人がぶら下がって聞くという状況になった。

今はリスキリングがはやっているから、企業が金を出しても聞くようになり、商売としてもうまくいき始めた。これを聞いた教養学部の学生までも、聞きたいと言い始めた。今まで囲った教室の中でやっていたのは一体なんだったんだと・・・。

 逆にわかったのが、知識を伝えるだけだったらZOOMでやればいいのであって、大学に必要なものは何なのか。文系の人も理系の人もできるのは、物事の背景まで考えて合理的な結論を導きだすアーギュメントだと。

たとえば、それぞれの研究室で、そうした練習をして先生とやり合うといったことを、コロナ明けたら真面目にやるようになったんです。ChatGPTの進展もすごい。ChatGPTの「4」は、月20ドルの利用料がかかるが、みんな入っているんですよね。これを使ってレポート書かれたら僕らはチェックできないと心配しているが、学生はそんなこと関係ないとみんな使っている。

今年の就職試験のエントリーシートはみんな、ChatGPTを使って書いている。これが見事なことに、提出する人の文章が全部違うんだよね。

橋本     そうすると、独創性があるのかないのかまったく判断できないんですか。

中尾     だけど、エピソードが必要なんです。原体験が必要だから、受験だけやっている学生は駄目。ヨーロッパを放浪したらこういう町のこういうのがきれいだと思って、それを見たらおたくの商品だったから素晴らしいと思ったとか、そういう原体験がないと面白くならない。

だから、受験勉強以外に何かをやっている子が素晴らしい。そんなふうになってきて、要するにChatGPTの扱い方がうまくなった。ZOOMとChatGPTがものすごく大きな変わり目になって、東大工学研究科の大学院の試験が、もう従来型の筆記試験をやめちゃったんです。

ChatGPTを使いこなす

安西     ChatGPTとかGPT4の使い方はそれなりにみんな適応していて、おっしゃるとおりです。これからはパーソナルアシスタントというのか、組織でも個人でもそれぞれに見合った情報を蓄積しながら、答えを出してくれるようになっていくと思うんですね。

ちょっと付け加えると、ChatGPTが今もてはやされていますけれども、あれはやっぱり部品であって、大事なことは、おそらくこれからはコミュニケーションだと。大学で社会的な能力をつけていくということが大事になっていくと思います。

機械がいろいろなものを集めてきて書いてくれるという時代になったとして、その次の段階で、一体人間に残された仕事は何なのかを考えざるを得ない。そのときの大学の学びというのは、私は協調というのか、コラボレーションによって新しいものをクリエイトしていくことだと思います。社会がディープに求めている課題を自分たちで探して、コラボレーションでもってそれを解決していく、そういう教育になっていくんじゃないかなと。

中尾     たとえばどういうふうな教育になるんですか。

安西     そのやり方というのは、今もう駒大とかでもやっておられると思いますけれども、社会的課題。これを、学生側が見つけられない場合は先生がいろいろサジェスチョンする、一種のグループワークですね。それも、仲良しのグループだけじゃなくて、本当に知らない学生同士で組み合わせてやる。

そのときに多様性が非常に重要になりまして、留学生等も含めて、初めて会った者同士でコラボレーションをして、その社会課題をお互いに理解をし合って、答えを自分たちで見つけていく。そういう経験をかなりハイレベルでやるというようなことです。

中尾     教員1人あたりの平均学生数が45人ほどといったレベルでは、人員不足で無理ですよね。

安西     それをサポートするのがAIとDX。むしろそういうツールに使っていくべきだと思います。ChatGPTなんかも道具として使っていくべきだというふうに思っています。

各務     本学では今、1部屋に300人くらい入れて履修する授業がありますけども、それはもうなくなると思いますね。全員に一律に一方的にという講義は必要なくて、20人以下くらいのゼミのような形になる。オックスフォード大学とか、イギリスの大学なんかもそうですけど、全部少人数ですよね。

少人数で議論するために大学に来て、対話して、合意形成をして・・・。教員はたぶんそこにしか必要がなくて。

中尾     僕らそういうふうな授業をしたいんだけど、教室がないんですよ。黒板があって、椅子がずらっとこう並んでいるやつを外そうと思ったら、センター試験に使う場所がなくなるからやめてくれと言われた。

やりたければ勝手にやってもいいけど、金は出せないと。そういうのこそ文科省がお金を出してくれればいいのですが。入試会場のために理想を追求するのを諦めろなんて本末転倒で、それこそ入試なんかやめてくれとなる。

橋本     いろいろ白熱しましたね。最後に、まとめるのはなかなか難しいですが、今日は盛りだくさんの内容を提供、議論いただき、大変ありがとうございました。

馬場     最後はChatGPTで盛り上がったようでございますけれども、しょせんあれは膨大なデータベースをバックにしたチャットでしかないと思っております。クリエイティビティのある発想はできないと。NPO法人21世紀構想研究会副理事長の永野博から、閉会のあいさつをさせていただきます。

永野     今日は白熱した議論を大変ありがとうございました。非常に統一の取れたディスカッションというか、初めにデジタルと多様性から入って、様々な切り口から大学教育の課題や展望を語っていただきました。パネリストの各務先生、それからウイ先生、安西先生、そして橋本先生にはモデレータとしてそれぞれ非常に盛り上げていただきまして、感謝しております。

 21世紀構想研究会の創設25周年記念ということで、教育に関して今日は3回目のシンポジウムでしたが、これまでの2回をふくめて、取りまとめのような意味合いもあったと思っております。次の25周年に向けて21世紀構想研をどうやって盛り上げていけばよいのか。本日は会場だけでなくYouTubeのオンラインでもたくさんの方に参加していただきましたが、皆さんのご支援で構想研をさらに発展させたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。

(終わり)