お知らせ

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第117回21世紀構想研究会開催のご案内

2015/02/15

第117回・21世紀構想研究会は世界で初めて3Dプリンターの原理を発明した小玉秀男さんをお迎えしての講演会です。

 日 時 2015年3月18日(水)午後7時から

会 場 プレスセンタービル9階 宴会場

演 題 「3Dプリンターの原理を世界で初めて発明したドラマを語る」

    講師:小玉秀男弁理士(特許業務法人 快友国際特許事務所所長)

    世界で初めて3Dプリンターの原理を発明した小玉秀男さんの講演です。

 世界で革命を起こしている3Dプリンターをどうして発明したか

 いま3Dプリンターは、産業界のもの作り現場だけでなく、医療、芸術、ポップカルチャーなどその応用は燎原の火のように広がっています。まさにIT産業革命の最大のツールにのし上がってきました。

 その3Dプリンターの原理を世界で初めて発明し、アメリカの学会誌に発表後、特許出願したのが小玉秀男先生です。1980年4月でした。

当時、小玉先生は名古屋市工業研究所の研究員でしたが、その後、弁理士資格を取得し、アメリカへ留学していきます。

ところが出願した特許は、審査請求を出し忘れてしまったために流してしまい、実用化ではアメリカの起業家に成果をさらわれます。この発明に対し1992年、型技術協会賞受賞、1995年にはイギリスでランク賞を受賞しています。

近い将来、小玉先生がノーベル賞を授与されることも夢ではありません。

今回は、なぜコンピューター設計データを三次元立体物としてアウトプットする方法を考え付いたのか。思考と試行の繰り返しからたどり着いた世紀の発明のドラマを語ってもらいます。

 

 

 小玉秀男氏

 

画期的なアイデアにたどり着くまで

小玉先生は、コンピューターの三次元CADで簡単に立体設計図が描けるだけでなく、その立体データも取得する時代になったのに、コンピューターは二次元、つまり紙の上に印刷するアウトプットしかできないことに不満を持っていました。

折角、立体データがあるのだから、これを立体形としてアウトプットできなければ意味がない。何とか立体物としてアウトプットさせよう。そう考えて毎日、研究の頭の中で試行錯誤を繰り返していた。

勤務していた名古屋市工業研究所では、半導体の改良や集積回路の研究もしている。小玉先生は半導体のセンサー開発グループの部屋に出入りしているうち、半導体の回路を製造するときにフォト・レジスト(感光樹脂)を使って何回も繰り返し処理する現場を見る機会があった。

 

 半導体技術を知る

半導体は単結晶のシリコンの薄い板「シリコン・ウエハー」の表面に回路を作るのだが、ちょうど写真の焼き付け、現像と同じようなプロセスになる。写真で言えば印画紙にあたるウエハーにまずフォト・レジストを塗る。次にマスク(ネガフィルム)からウエハーにパターンを焼き付ける。写真の場合は焼き付け・現像は1回で終了するが、半導体の場合は焼き付け・現像を同じウエハーの上に何回も繰り返す。この作業を見ながらフォト・レジストを使って加工する技術を知った。

 

新聞の印刷技術を知る

次に展示会で、新聞を印刷するときに版下をどうやって作るか、その製造技術を初めて見た。

透明の ガラス板の上に透明のサランラップのような薄い膜を広げておく。その上に感光性樹脂を薄くのばす。それからまたサランラップ様の薄い膜をかぶせ、さらに新聞紙面の白黒のマスクフィルムをかぶせ、上からと下からの両方から光を浴びせる。

下からの光で下から半分が固まる。上からの光でマスクフィルムの白いパターンのところだけが固まる。できあがった樹脂版の表面には、版画状に文字や写真が浮き出ている。これにインキをのせて版画と同じ原理で印刷すると新聞ができあがる。

小玉先生は 「これを見ているときは、ははあ、こうやって新聞はできるのかと思っていましたが、帰りのバスの中でにわかにアイデアが浮かんだのです」と語る。

  あの薄い版下を重ねて厚くしていけば、立体形ができるのではないか。小玉先生の頭の中で、「3次元CAD・半導体の製造技術・印刷の版下製造技術」の3つが融合してあるアイデアが浮かび上がった。

 

 装置を作ってついに立体物のアウトプットを完成

フォト・レジスト(感光性樹脂)に光を当てると、厚みのあるものを作っていけるという技術と、半導体製造でやっているフォト・レジストを何度も何度も、とっかえひっかえ加工していく技術を使えば、二次元動作の繰り返しをするだけで3次元の立体形を作ることができる。

これこそ3次元CADのアウトプットではないか。これをコントロールするのは、XY軸の二次元を操作するだけだ。二次元の平面処理を繰り返していくと立体形を作ることができる。

3次元CADの作ったデータを二次元のXY平面で点座標として示し、それを繰り返していくと上に重なって立体形になっていく。つまり立体形を輪切りにし、その輪切りの断面を幾層にも重ねていけばいい。

小玉先生は、この原理で立体物をアウトプットする装置を作り、自宅の設計情報から実際に立体模型をアウトプットさせることに成功した。

これが世界で初めて成功した3Dプリンターの原型である。

 

アイデアをまとめて特許出願をする

その原理を整理し、小玉先生はすぐ特許として出願する。発明者はもちろん小玉先生、出願人も小玉先生にした。この歴史的な特許出願書類は「立体図形作成装置」という発明名称をつけられ、1980年4月12日に特許庁に出願された(特開昭56-144478)。

 

アメリカの学術誌に論文として投稿・掲載される

小玉先生は、これを論文としてまとめ、アメリ カの物理学会誌に投稿した。同学会誌の1981年11月号の「Review of Scientific Instruments」で、「フォト・レジストを用いて3次元プラスチックモデル を自動的に作成する方法」というタイトルで掲載された。

 

 

 小玉氏の論文は「Review of Scientific Instruments」に掲載された。

 

世界で初めての3Dプリンターのアウトプット成果物写真

 

英文論文

   この論文は、光造形装置と3Dプリンターの歴史を語る上で必須の文献である。光造形(3Dプリンター)ができる原理を学問的に説明し、にょきにょきと丸太小屋風にできあがった自宅の模型の写真もついている。この論文は、コンピューターのアウトプットとして立体造形を作る方法を研究していた、世界中の研究者の注目を集めたに違いない。

  論文が掲載された直後の1982年8月、アメリカのスリーエム(3M)社の研究員アラン・ハーバートが、小玉氏とほとんど同じ原理で 光造形ができるとの研究成果を発表した。

続いて大阪府立産業技術総合研究所の丸谷洋二氏もほとんど同じ技術を開発し、小玉氏から遅れること4 年目の1984年5月に特許出願し、実用化を目指した研究会まで作って企業へ働きかけたが、結局、実用化はできなかった。

 この技術で実用化に成功したのは、アメリカのチャールス・ハル氏である。特許を取得して3D社を立ち上げ、いまは3Dプリンターの世界トップのメーカーとしてこの業界の覇者となっている。

 小玉先生は、なぜ特許取得できなかったのか。それは審査請求制度という時代遅れの日本の制度の弊害とアメリカへの留学という環境変化の中でついうっかり忘れてしまったのである。

 その逆転劇といま3Dプリンターが産業界に旋風を巻き起こしている現状まで俯瞰して語ってもらいます。ご期待ください。