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自然景観の中に息づいていた大村智先生の業績と生涯

2023/06/06

自然景観の中に息づいていた大村智先生の業績と生涯
韮崎大村記念公園を訪ねるツアーに参加して
文  :矢崎千絵(21世紀構想研究会事務局)
写真:大谷智通(21世紀構想研究会事務局)

私財を投じて建設中のテーマパーク

さる6月3日・4日の週末に、21世紀構想研究会主催による、「韮崎大村記念公園を訪ねるツアー」が開催されました。

参加者は、21世紀構想研の副理事長、永野博さん、事務局長の峯島朋子さんをはじめとした、総勢23名です。馬場理事長は、2~3日前から体調を崩し、残念ながら不参加となりました。理事長は、この企画において大村智先生らとの連絡をすべてご自分でなされ、構想研創設以来26年間のすべての行事に皆勤であったのに、今回、初めて参加できなかったことを大変残念がっておられました。

韮崎大村記念公園」は、山梨県韮崎市の、韮崎駅から西に3キロほどはなれた場所にあります。大村先生と実弟の朔平氏らが私財を投じて取り組んでいるテーマパークの創設です。

2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された、大村智博士の生家の周囲に設立され、美術館、温泉、食事処を有し、さらにあらたな建物が加わる計画もあります。

新宿から、特急あずさで1時間半ほどの距離で、構想研の参加者は三々五々、集合場所のホテルに夕方集合しました。台風が危ぶまれた日程も、我々が移動する6月3日午後にはすっかり晴れ渡り、韮崎駅からは、富士山や八ケ岳もくっきりと見えました。

ホテルから、車で大村記念公園の中にある、そば処「上小路」に移動し、さっそく懇親会が始まりました。目の前に立つ自宅から大村智先生も参加され、まず、韮崎大村財団の理事長を務める大村朔平氏のご挨拶をいただきました。朔平氏は、大村智先生の弟で、太陽光発電の事業を手掛け、工学博士の学位も持たれていますが、大村財団の理事長に就任し、記念公園建設の推進役として、陣頭に立っていらっしゃいます.

大村財団の理事長を務める大村朔平氏

「イベルメクチンの真実」を語る

その後、大村智先生がお話をされました。韮崎の地で育った幼少時代、青年期からの絵画に対する興味と、後の蒐集など。また、大村先生がこの地に温泉を掘ったことにより、地域の過疎化への大きな対策ともなっているということです。

そして馬場先生からの依頼として、イベルメクチンについても、踏み込んだ話をされました。トランプ大統領も、エリザベス女王も、コロナにかかった時、公式に発表はしていないが、イベルメクチンを飲んで快癒している。しかし、コロナ蔓延時にはイベルメクチンの普及に関して、様々な妨害があった。大手製薬会社がWHOを支配しているため、なかなか承認されないこと等々・・ 

現代の医療が、人の命を救うためではなく、お金儲けのみに邁進していることに、非常に心を痛めていらっしゃいました。参加者全員に、大村先生が揮毫した色紙と、寺島隆吉氏(岐阜大学名誉教授)の書かれた『ワクチンで死ぬかイベルメクチンで生きるか』と題する本を、参加者全員にいただきました。

韮崎の地で育った幼少時代、青年期からの絵画に対する興味と大村先生のお話しに一同感動でした。

大村智先生を囲んでの記念写真

懇親会後は、大村先生案内のもと数人が夜道を散策され、闇のなかに乱舞する蛍を観賞して、大変美しかったそうです。大村先生の故郷の静けさ、自然にあふれた雰囲気を満喫いたしました。

生家と韮崎大村美術館を見学

翌、6月4日は、大村記念公園内の、大村先生の生家に集合するところから始まりました。この生家は、現在は「蛍雪寮」と名づけられ、登録有形文化財となっています。

大村先生の生家「蛍雪寮」

元々、豪農であった大村先生の生家は、築100年を超す立派な建物でしたが、時代を経て老朽化が進んでいたため、建材をすべて解体して土台からしっかりと基礎固めをして作り直したそうです。立派な梁や、掛け時計、大村先生が弟・妹の背丈を測った柱のキズもそのままでしたが、壁や畳、床などはきれいに整えられていました。あずまやを配した、素晴らしいお庭も輝いています。

大村先生の生家「蛍雪寮」内部

となりに立つ土蔵は、元々養蚕がなされていた場所を、戦後、疎開家族などを迎えて住居に改築されていましたが、2階は大村先生やご兄弟の勉強部屋になっていた時期もあり、窓から茅ヶ岳をよく眺めていたそうです。現在は、ワークショップやセミナーにも利用できるよう、机や椅子が整えられ、懇親会用のプロ仕様のキッチンも完備されています。

また、この地に移住を検討するのでしたら1週間無料で宿泊できる部屋も用意されていて、地域貢献を第一に考える、大村先生の思想が見て取れました。

次は、韮崎大村美術館の見学です。美術館職員の方が、丁寧に説明してくれました。

2007年に大村先生が私設美術館として建立したものを、翌2008年に収蔵品ごと韮崎市に寄贈して現在の形になっています。当初2000点だった収蔵品が、現在は4000点を超えるものとなっているそうです。

大村先生は、40年にわたって絵画や陶磁器に親しみ、蒐集してこられ、現在も女子美術大学名誉理事長となっています。コレクションは、大村先生が若いころから集中して集められた、鈴木信太郎の作品200点を有しながらも、主に女性の作品を中心とする、世界でも有数の美術館です。

女子美出身の片岡球子、三岸節子をはじめとして、上村松園や小倉遊亀、篠田桃紅の錚々たる作品が常設展示で並んでいます。年に4回企画展が開かれ、現在は女子美の教授の馬場章氏の版画展を開催中です。

2階に上がると展望室があり、ここは大村先生が、景観がもっともよくなるようにと設計した、自慢の空間です。折しもお天気に恵まれ、大きなガラス窓いっぱいに、高台からの韮崎市の眺め、右手に富士山、左手に八ヶ岳、正面に茅ヶ岳(日本100名山のひとつ)という眺望が広がっていました。

大村先生のノーベル賞受賞を記念して作られた、「記念室」もあります。スポーツに励んだ時期のトロフィーや、驚くほどの数の記念メダル、ノーベル賞に至るまでの足跡などが飾られています。美術館は、大村先生の美術に対する深い愛情と、女性への尊厳が見て取れる、感慨深い場所でした。

茶室から庭園まで造詣の深さに感動

最後に、大村先生自ら、ご自宅のお庭を案内してくださいました。真ん中に池がありますが、ここには最近まで、70~80㎝の錦鯉が10数匹泳いでいたそうですが、残念ながら水質管理の失敗で、一夜にして死んでしまったそうです。その代わりに、元々亀の石を収集していた先生は、1メートル半ほどもある巨大な亀石を見つけて、クレーンで吊って、池のまん中に配置していました。

お庭は、楓を中心に様々な木々が配置され、上方から水が流れて、その流れに沿うように回遊して歩けるようになっています。庭園に関する造詣の深さにも驚かされました。

大村記念公園の今後としては、畠山記念館から移築する茶室の設置や、独立した大村記念館の設立なども計画し、韮崎市の文化発信地としてますます発展していきそうです。

その後、もう一度そば処でお弁当をいただき、解散となりました。有志数名は、隣接する「白山温泉」のお湯にゆっくり浸かり、露天風呂からの景色を満喫しました。この温泉も、元々大村先生が、研究室の学生たちをセミナーのため生家に長期滞在させた際、大勢で入れるお風呂がなかったために冗談で、「こんど俺が温泉を掘ってやる」という一言から始まったプロジェクトということです。

大村先生は山梨大学在学中に地質学の先生に可愛がられ、よく地質調査の助手として連れていかれたそうです。そんなことから地質学についても知識が深くなり、大体、この辺を掘っていけば温泉が湧いてくるという勘が働いたそうです。これは以前、取材した馬場理事長から聞いた話ですが、そういう勘で掘ったのがこの温泉だということでした。

1年で完成するはずが、1500メートルも地下を掘り進め、硬い岩盤に当たってしまったため、苦労してやっと掘り当てたというお話もお聞きしました。そのおかげで泉質も非常によく、最近は美術館も含めて来場者も増えて、地域活性化に大きく役立っています。

故郷の発展と人材育成を熱望する大村先生

今回のツアーを通し、大村先生の飾らず暖かいお人柄に触れることができ、大変感動いたしました。多岐に渡る多大な功績を持ちながらも、謙虚で垣根のない人格が、さまざまの研究や事業を支えてきたことを目の当たりにしました。ご自分の栄誉ではなく、故郷の発展や、人材育成にも献身する姿勢は、非常に尊いと思いました。今回参加できましたことを大変嬉しく思い、大村先生他皆様にこころより感謝いたします。