お知らせ
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時代に取り残された学校現場
教育施策の立て直しを考える
冒頭発言 パネリスト 松本美奈
1964 年、東京生まれ。慶應義塾大法学部卒。一般社団法人Qラボ代表理事、教育ジャーナリスト。上智大特任教授、帝京大客員教授、東京財団政策研究所研究主幹。大学改革支援・学位授与機構認証評価委員。主な著書、『異見交論 崖っぷちの大学を語る』、『大学の実力』(共著中央公論新社)、『特別の教科 道徳 Q&A』(共著ミネルヴァ書房)など。
『教員は「考える人」じゃダメ!?』という妙なタイトルで問題提起をします。
これは文部省の調査です。教員の労働時間の長さと、その中身をご覧ください。労働時間は長くなっているけれど、研修時間は減っています。小学校だけでもこの40年間、50年間で3分の1になっています。
授業準備はどうか。小学校で9時間19分が6時間48分と3分の2くらいです。研修と授業準備がこれだけ減っているということを頭に入れておいてください。
これは何を意味するか。子どもたちの学びが危機的な状況ということです。子どもたちの学びがなぜ危機的な状況か。研修、授業準備の時間が減少するということは何を意味するか。
個別具体的な現場を見ていきます。ある小学校教員の1週間です。先ほど小本先生がご紹介くださった裁判の資料です。埼玉県の小学校の60代の先生は、ご自分の1週間を振り返っています。横軸に1週間、縦軸に時間が出ています。
赤い線が始業開始時間です。8時半の始業開始の前にこれだけ仕事があるということだけご覧になってください。
たくさんの仕事があります。マラソンまで子どもと一緒にしちゃいます。そして、やっと授業になった。もう1時間働いています。マラソンまでした揚げ句、息を切らしながら教室に入る。ここから長い一日が始まります。
授業が終わって休み時間は次の授業の準備。この授業の準備は教材を整えるとかではありません。跳び箱を用意するとか、国語の時間だったら作文用紙を準備するという物理的な準備です。
休み時間はトイレに行く時間もないという話を聞いています。昼休みになったとしても休憩ではありません。食育指導というのが担任の先生にも課せられています。先生たちはご自分のごはんを食べるどころじゃありません。
先生たちは超速で食事をすませて、歯磨き指導をします。それが終わったら掃除です。息つく暇もなく午後の授業に突入します。午後の授業が終わって子どもたちを送り出して、そこからまたたくさんの作業が待っています。
事務作業がなんと53項目もありました。この先生の例では53項目を片付けることが5時からの仕事です。この先生が入職された1981年、昭和56年当時は、わずか15項目しかありませんでした。 40年間で15項目が53項目にまで増えたのです。
ではこの訴訟で裁判所は、53項目全てに残業代支払いを命じたかといえば、答えはノーです。それがこちらです。赤の線で囲った項目が認められたところです。小さい字で見えにくいので、いくつか申し上げます。
認められたものは、エアコンスイッチの入切簿、花壇の手入れ。これだけは労働時間として認められました。
一方、認められなかったのは、教材研究、子どものノートの添削は労働時間として認められませんでした。なぜこんな判断になるのか。別に裁判所が悪いわけではないです。裁判所は校長の指示命令の有無というところで判断していただけです。校長は現場の責任者です。これは戦後一貫してその責任者として認められていました。指示したら労働時間です。こうなると時間が長くなるのは当然です。とても5時に終わるような仕事の量ではないのです。
では労働時間に見合う報酬か。それが今日の論点の一つになります。
給特法がつくられたのは1971年です。給料月額の4パーセントを教職調整額として上乗せするという法律です。その代わり、時間外勤務手当および休日勤務手当は支給しない。先生は自主的そして創造的に判断する仕事をする人なので、ここからが勤務、ここからが勤務以外とはなかなか判断できない。包括的に見ていきましょうという考え方です。
残業が認められるものも4項目あります。緊急事態など4項目です。それがいつの間にか仕事が増え、時間内に終わらなくなってしまった。その結果、先生たちの勤務時間が長くなり、ただ働きの時間が長くなってしまったということです。給料月額の4パーセントを教職調整額として上乗せする。その教職調整額はいくらか。これは6月に裁判がおこなわれた大阪府立高校の先生の事例です。大阪の高校の先生はある1か月、144時間残業していました。その月の教職調整額は1万684円です。時給で計算するとわずか74円です。
じゃあ教員はどんな環境でどう働いているか考えなくてはいけません。
先生のなり手が減っているのは、働き方の問題はもちろんありますが、専門職として誰も認めてくれないからではないでしょうか。
研修と授業準備の時間が減っていて、子どもと向き合う時間もない。労働時間に見合う報酬もない。議論する場が学校内にない。校長がこうやれと言ったらやるしかありません。自由がないと言ってもいいでしょう。教科書も選べない。こういうことで、自由に考えることはできない。その権利もないとなったら、教員は「考える人じゃ駄目」、思考停止でいいということにもなります。
思考停止の人たちが子どもたちの学びを深められるか。主体的に考える人を育てられるか。子どもたちの学びが危機的状況というのはそういうことです。
そこで提案です。人数の確保と質の担保をするためには待遇改善です。給特法は廃止して、労働基準法、地方公務員法で守る。そして、場合によっては労働契約できちんと仕事の内容を限定する。
一方、賃金が社会全体上がっていない中で、教員の給料だけ上げろというのはかなり厳しい話になるだろうと思います。専門職として位置付けるためには、国家試験を導入することです。基礎学力の部分は国が担保し、地方がその中から選ぶという形にすればいいのではないかと考えています。
いまの状態では頑張る先生ほど先につぶれていくという状況になっています。これでは日本の未来は真っ暗です。